第一期2回レジュメ

2012年12月8日

文責:佐々木


●現代アメリカを特徴づける「リベラリズム」

【テキスト】@アメリカ現代思想(仲正昌樹著:2008年9月NHK出版)

       Aブッシュからオバマへ(古谷旬著:2009年7月岩波書店)

1】「リベラル」の定義

 a)一般的な訳語は、「自由主義(者)」だが、現状では多様な意味を孕み過ぎている。

  ⇒今日の主流である「新自由主義」の言う「リベラル」は、諸個人の経済活動への政府の介入を批判する「古典的自由主義」であって、ハイエクやフリードマンが人格的な代表である。   しかも現状の含意はリバタリアリズム(=自由至上主義)により近い「個人主義的自由」であって、戦後日本で戦前天皇制を批判する概念として流布した「リベラル」とは明らかに違う意味で使われている。≪ヨーロッパにおけるリベラルの議論では、アナーキズム(無政府主義)も「自由至上主義の最左派」として扱われたりもしている。≫

  ⇒戦後日本で・・・流布した「リベラル」は、社会主義や社会民主主義に「より近い」思想傾向であり、それは「1933年にルーズベルトが大統領に就任した頃から、経済的弱者に対  する福祉や、大規模な財政政策による雇用対策を通じて『欠乏からの自由』を重視する政治家や知識人たちが、新しい『自由』観を主張するという意味で『リベラル』を名乗るようになった」【TxtA:p71】それである。 

     つまり「戦後日本のリベラル」は、「親社民論(者)」あるいは「親福祉国家論(者)」であり、経済的には「ケインズ主義(者)」と考えてよい。

 b)TxtA(仲正昌樹)の「リベラル」の定義は・・・

   『ロールズの正義論を契機に引き起こされた「自由」の現代的課題をめぐる一連の議論』とするが、「ロールズの正義論」がケインズ主義と福祉国家の政治哲学的背景となり、だからまた「福祉国家の限界」が語られる今日、さまざまな批判的再把握が試みられているという意味では、この定義にそって「アメリカを特長づけるリベラリズム」を理解する意味はある。

 補足】ちなみにアメリカ哲学の特徴と言われる「プラグマティズム」は、戦後日本では一般的な「現実主義」とは少しばかり意味が違う。それは元々「行為の結果」を意味するギリシャ語で、  「予め設定された既成概念抜きに、人間の現実の『経験』に即して思考しようとする”アメリカ的な哲学”の流儀」を表す概念として世界に流布したのであり、日本では西田幾多郎、夏目漱石、大杉栄らが注目している。とくに大杉には「労働運動」とプラグマティズム」(1915年)の著作もあり、「行為(のもたらす季節)」を基準に物事を見ようとするプラグマティズムの精神を、労働運動の戦略に応用することを模索したという。

     そして戦後、アメリカ留学中にプラグマティズムを学びこれを日本に本格的に導入しようとたのは、鶴見俊輔であった【TxtA:p15−16】

2】「アメリカ的自由」の歴史的背景

 a)「独立宣言」(1776年)に現れた3つの権利(生命、自由、幸福の追求)

  ⇒「何ものにも侵されない、神によって平等につくられた一定の譲り渡すことのできない権利」=「自然権(的人権)」を独立の論拠に据えた【Txt@:p98−99】

   *したがって「腐敗した旧世界からの独立」は、人民の自然権を防衛・確保する為に必要な行為というだけでなく、「神に対する義務の履行」ともなる。

  ⇒かかる建国の精神=「啓蒙的自然権」思想の理想の反面、これとは相容れない奴隷制という現実をかかえる矛盾と南北戦争

   *ただし南北戦争の当初目的は奴隷解放ではなく、「連邦を救うこと」(リンカーン)つまり南部諸州の連邦からの分離を阻止することだったが、戦線が膠着したことで重要な意味を持   つことになった「南軍兵士として動員される400万人の黒人奴隷」の動向に対応するべく、以下の「奴隷解放宣言」が発せられた。

   ▼「1863年1月1日、合衆国に対して反乱の状態にある州、もしくは州の一部が反乱状態であると見なされる地域で、奴隷として所有されているすべての人々は、その日以後永久に  自由を与えられる」【Txt@:p102−103】

   *ただし現実には、1870年代には人種隔離制度が南部諸州で確立され、南部は連邦内の特殊な「半自律的地域」として1960年代まで存続する。

 b)「明白なる運命(Manifest Destiny)という選民思想

  ⇒1898年の米西戦争(対スペイン戦争)を契機に、獲得した植民地(フィリピン、キューバ、グァム)支配を正当化する論理として登場

   ▼「・・・われわれ(アングロサクソン)のような勢力が存在しなかったら、世界は野蛮と暗黒に逆戻りしてしまうであろう。そしてわれわれ民族(アングロ・サクソン)の中でも、神はとりわけアメリカ人たちを、世界を最終的に復活に導く選ばれた民となしたもうたのである」【Txt@:p110=共和党員ベヴァレッジ】

  *神の命によって腐敗した旧世界からの独立したアメリカ人は、再び「神の命によって人類の支配者、指導者たることを義務づけられたアングロサクソン」として「旧世界(イギリス)」との人種的連携へと舞い戻ったのだ。

 c)伝統的なアメリカの自画像=「邪悪な外部世界 対 救済主体たるアメリカ」

  ⇒「われわれは自らの手で、もう一度世界をつくり直すことができる」(トマス・ペイン)という自負→それは自立と自由(自助努力)が直ちに現実生活そのものであった新大陸・植民地ならではの精神であると同時に、

  *腐敗し閉塞するカトリックの旧世界(イギリス)を棄て(あるいは逃避し)て新大陸に移住した人々にとって、目前に横たわる≪不安に満ちた無限の希望≫に立ち向かう強烈な自意識には不可欠の精神的要素ではなかったか!

   「神と私たちの間には大義がある。これを果たすために私たちは神と契約したのである。・・・(この大義が実現されるとき)私たちはイスラエルの神が自分たちの間にいたもうことを知るであろう。・・・私たちは丘の上の町となり、あらゆる人の目がわれわれに注がれると、考えねばならぬ」【1630年:マサチューセッツ湾植民地総督・ウィンスロップ:Txt@:p79】

  *この強烈な「メシア主義的使命感」が外交政策へと貫徹されたとき、具体的には第二次大戦で「自由の的ファシズムという全体主義」を打倒し、その後は冷戦を通じて「共産主義という全体主義」と対峙することを通じて、「世界をアメリカ的イメージにしたがってつくりかえようとするメシア的介入主義が、アメリカニズムの主座を占めることとなった」【Txt@:p82】

  ⇒これが、第二次大戦以降のアメリカの外交上の基調となったが、半面でアメリカは帝国主義的な他地域支配に求められる忍耐=生活上の物的欠乏や人的損害に耐え忍ぶ経験が「決定的に不足している」【Txt@:p76】

  →ベトナム戦争以降、この「帝国主義としての決定的な経験不足」はあらゆる軍事介入に付きまとい、ブッシュの対テロ戦争でも露呈した

3】「リベラル」の危機と再生の模索

 a)第三世界をめぐるソ連との攻防―もうひとつの自由=「解放」との対峙

  ⇒アメリカンリベラルのアイデンティティ危機

  ⇒公民権運動、フェミニズムの台頭

 b)「リベラルな政治哲学」の登場

  ⇒ロールズの「正義論」・・・・自由と平等との両立

 

4】第一期オバマ政権と再選後の課題(略)


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