旧態依然の成長戦略と「アベノミクス」の正体

―安倍政権の経済政策は功を奏するか―

(インターナショナル第212号:2013年3月号掲載)


▼最新トレンド=「アベノミクス」の蹉跌

 快調だった「アベノミクス」が、思わぬところで脆弱さを露呈した。
 2月25日に開票されたイタリア総選挙で、「構造改革」推進を訴える中道左派連合が苦戦し、緊縮財政に反対する中道右派連合が善戦したことで欧州金融危機の再燃が懸念され、ユーロとドルが売られて円買いが急増、急速な「円高」と軌を一にして日系輸出産業の株価も急落、金融市場の活況を演出した「アベノミクス」に水をさす形になった。
 イタリア総選挙の結果が明らかになった26日の東京外国為替市場では、前日比2円程の円高・ドル安の92円前後となり、東京株式市場もほぼ全面安の展開となった。日経平均株価は前日比263円71銭安の1万1398円81銭と今年2番目の下げ幅を記録、翌27日には、円ドルレートは92円台後半でもみ合いになったものの、株価は前日比144円84銭安の1万1253円97銭と続落した。日経平均は28日になってようやく1万1559円36銭と前日比305円39銭高にまで戻したが、一連の円高進展と株価の急落は、昨年11月以降、自民党の政権復帰とその経済対策=「アベノミクス」への期待によって進展した円安と株高という金融市場の活況が、実は「欧州金融危機再燃の懸念」といった風評的不安にさえ過敏に反応する、だから実態経済の反映ではなく「将来への期待」といった投機的思惑に依存する「脆弱な活況」であることが露になったのである。
 だがそもそも「アベノミクス」とは、どんな経済政策なのだろうか?
 それは「大胆な金融緩和」と「機動的な財政政策」に「民間投資を喚起する成長戦略」を「三本の矢」として一体的に展開する経済政策ということになっているが、「大胆な金融緩和」と「機動的な財政政策」を織り込んだ補正予算を組み合わせてデフレから脱却するという当面の経済政策は、それ自身として目新しい経済政策ではない。むしろ問題は、デフレ脱却策とセットで提唱された「民間投資を喚起する成長戦略」が日本経済の将来像をどのように描くのかなのだが、その問題は後に触れる。
 ところでこの「大胆な金融緩和」と「機動的な財政出動」の組み合わせが目新しくないのは、08年のリーマンショックで世界経済が巨大なデフレギャップに直面したとき、欧米金融当局がこぞって採用した対策が「大胆にして大幅な金融緩和」だったからである。そしてむしろ当時の日本では、リーマンショックの影響は「日本では軽微だ」という誤った認識が主流を占め、国際的な金融緩和の流れから取り残されて日銀の金融緩和策が後手に廻ったということなのだ。
 だが現実には欧米諸国の「大胆な金融緩和」策と中国やブラジルなど新興国の「機動的な財政出動」が、大崩壊の瀬戸際にあった世界経済をかろうじて支えてきたのは周知の事実であり、だからまた先の「主要20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議」でドイツ、中国、韓国などが「日本は不当な円安誘導を行って“通貨切り下げ戦争”を仕掛けている」と非難しても、日本が名指しで非難されなかったのは当然なのである。G7など主要国で同様の「大胆な金融緩和」が採用され、中国をはじめ新興諸国では「機動的な財政政策」が実施された以上、円高による日本の自動車や電器産業の苦境から利益を享受しているドイツ、中国、韓国などの日本非難が、説得力を持つはずもないからである。
 さらにギリシャの債務危機に端を発した欧州金融危機を契機に、金融緩和の一方で財政赤字の政府に債務の圧縮を要求する「緊縮政策」つまり財政出動の抑制の限界があらわになり、ユーロ圏最大の債権国にして最も強硬にユーロ諸国の財政均衡を要求してきたドイツのメルケル政権すら、「一定の」という条件付ではあれ、欧州諸国が財政出動で「景気浮揚政策」をとる必要を容認するに至ったのは、昨年秋のことである。
 こうして見ると安倍政権の「大胆な金融緩和」と「機動的な財政出動」を組み合わせたデフレ対策は、リーマンショック以降の厳しい経済状況に対応する国際的な金融・財政政策のトレンドであり、「アベノミクス」はその「最新トレンドの日本版」という性格を持っているのである。だがその最も肝心な点は、安倍政権の主観的意図がどうあれ、2001年4月に登場した小泉政権が「構造改革」を掲げて以来、自民・民主の両政権を貫いて堅持されてきた「緊縮財政」政策が転換されたという事実である。
 と言うのも第二次大戦後の通貨管理制度の下で、資金の最後の貸し手でありまた最後の消費者でもある国家=政府が緊縮政策から積極財政に転換し、それによって通貨供給量が増加するという事実は、「市場心理」や「消費者心理」に「金回りが良くなって景気が回復する」という期待を抱かせることになり、その期待に基づく「思惑買い」を強く刺激するからである。
 そうであれば、金融市場の変動の中に多様な利潤の源泉を見出すことを生業(なりわい)とする数多(あまた)の「投機家」たちが、この好機を見逃す筈もない。つまり10年も続いた緊縮政策が転換され、併せて「将来への期待」を煽動する金融緩和が同時に推進される経済政策は、2012年末にはGDP比で236%にも達するまでに膨らんだ財政赤字への悪影響や、日本の実体経済を好転できるか否かといった重要で本質的な問題はどうあれ、金融市場に大きな変動をもたらさずにはおかないからである。
 それは老練なトレーダーにとっては、十分にレバレッジ(梃子=借金で投資資金を膨張させ、僅かの変動でも大金を稼ぐ手法)を効かせた投機を仕掛け、目先の利益に右往左往する「小金持ちの個人投資家」を出し抜く好機には違いない。

▼「新たな競争力の源泉」を見出せなかった日本企業

 かくして日本の金融市場は、日経平均が12週連続で上昇する史上2番目の上昇トレンドを記録するなど活況を呈し、円ドルレートが円安に振れる度合いに応じて株価も高騰する展開となった。円安が進展すれば自動車や家電などの輸出産業が「価格競争力」を取り戻し、「輸出主導の景気回復」が期待できると言う訳だ。神話化された「高品質のメイド・イン・ジャパン」への幻想を土台とする「将来への期待」という市場の思惑が、沈滞していた金融市場を突き動かすことになったのである。
 だが残念ながら金融緩和や財政出動がどれほど大幅で巨額であろうと、それだけで持続的な拡大再生産すなわち「本格的な景気回復」が達成される訳ではない。それどころか、現実には新たな拡大再生産を誘発することさえ困難だろう。というのも財政出動による景気刺激策は、90年代全般を通じて、少なくとも旧来的な社会インフラ整備など「開発型公共事業」の経済波及効果に多くを期待できないのは明白だし、マネーサプライを増加させても利子率が低下しない、いわゆる「流動性の罠」に陥った日本では、大幅な金融緩和もまた「将来への期待」を生成・煽動する以上の効果を発揮することはないだろうからである。「合理的期待形成学派」が唱える「インフレ目標(=ターゲット)のような期待に訴える金融政策」(Wikipedia「流動性の罠」参照) が、持続的な好況を達成した実績は残念ながらないのである。
 つまり「アベノミクス」という金融緩和と財政出動は、デフレスパイラルに陥った経済の落ち込みに歯止めをかけ、それ以上のデフレの進行を一時的に緩和もしくは止めるといった効果を発揮するだけである。しかも前述のように、金融緩和による経済効果は「将来への期待」という、金融市場をめぐる投資家たちの思惑に大きく依存して経済的実態とは必ずしも一致しない傾向を持つ以上、「期待の剥落」は文字通り「時間の問題」でもある。ただしそうした「期待の剥落」が、安倍政権の今後を占う今夏参院選以前なのか後なのかは、誰にも予測できない事でもあるのだ。
 したがって問題は、アベノミクス「三本の矢」のうちの「成長戦略」が、日本経済の将来像を如何に描いているかが重要になる。というのも「輸出立国」なる戦略の下で、稼ぎ頭だった自動車、家電などの旧来的な産業分野が「新たな競争力の源泉」を見出すか、あるいはそれに代わる「新たな稼ぎ頭たる新分野」を見出す事なしには、「持続的な拡大再生産」が可能となる経済的好循環は生まれようもないからである。そして実は、同様のデフレギャップという経済的困難に直面した欧米諸国と日本の決定的な違いは、「新たな競争力の源泉」を見出した欧米諸国に対して、「高品質のメイドイン・ジャパン」の神話にしがみついた日本は、今もそれを見出せずにきたということなのである。
 例えば「iPod」の大ヒットでアップル社の復活を印象づけたカリスマ経営者スティーブン・ジョブスが、「製造部門を国内に戻してほしい」というオバマ大統領の要請をアッサリ断ったエピソードは有名だが、それは国内生産を切り捨てることで、いま日本の製造業が直面している「低価格競争」に巻き込まれる事態を回避し、他方では販売戦略やブランド化によって新興諸国が生産する同様の新製品の追随を許さない、そうした「新たな競争力の源泉」をジョブスが明確に自覚していたことを示している。
 同様にユーロ経済圏の優等生たるドイツは、ベンツに象徴される高級自動車のブランド化を通じて「低価格競争」に巻き込まれる事態を回避する「新たな競争力」を見出したし、フランスもまたファッションや装飾品そして高級ワイン等々の「贅沢品」のブランド化を通じて、新興諸国の台頭による「低価格競争」に巻き込まれることを回避する「新たな競争力」や「新分野」を見出すことでデフレ圧力を軽減してきたのである。
 この事実、そう!日本と欧米諸国企業の経営戦略の決定的な違いという事実は、ベルトコンベアーによる大量生産と職人技を含意する「ものづくり」とを故意に混同し、あるいは「円高さえ是正されれば」自動車も家電も日本経済を牽引できる、今なお世界最強の製造業であるがごとき虚構を流布し、「メイドイン・ジャパン」神話にしがみついてきたこの国を代表する大企業の経営陣が、実はグローバリゼーションという世界的な大競争時代に全く対応できない、国際的には「三流としか見なされない」であろう、旧態依然たる経営者たちであることを暴いているとは言えないだろうか。
 現に中国という巨大市場で「日本人好みの高品質製品」を売りつづけた日本企業は、「中国人好み」の「真っ赤な電気冷蔵庫」を製造・販売した韓国や中国企業との「低価格競争」に巻き込まれて苦戦することになったし、かつては世界シェアで首位だった日本製太陽光発電パネルは、広範な普及に適した汎用型とは逆の「高価格な高品質パネル」だったが故に、当時、急速な再生エネルギーの普及を目指していた欧州・ドイツの「安価な汎用型パネル」との競争に敗れて首位の座を明け渡したのではなかったか! そしてまた日本の政治も、太陽光発電パネルに対する助成制度を打ち切ったのだ。
 かくして昨今の経団連会長は、労働分配率の引き上げには頑なに抵抗し、安価な電力供給を理由に脱原発の声に耳を塞ぎ、だが他方では企業減税や円高対策等々政府への「おねだり」ばかりを声高に語り、この国の未来や将来像について、その内容の善し悪しは別にしても苦言を呈するような、かつては「影の総理大臣」とまで呼ばれた日経連の会長とは比べようもない体たらくである。
 問われているのは、自動車や家電に寄りかかって「輸出立国」と称してきた産業構造の転換と再編であり、その構造転換を通じて新興諸国との「低価格競争」から脱却しうる戦略的構想を持つ、それこそ「柔軟なる起業家精神」なのである。

▼必要なのは政府の支援ではなくイノベーションだ

 ところがわが「アベノミクス」の三本目の矢=「民間投資を喚起する成長戦略」は、こうした課題に応えるというよりも、リーマンショックで破綻が露になった金融投資を「貿易立国」と並ぶ経済成長の「双発エンジン」にすると言う、旧態依然たる「経済成長神話」の延長上にあると思わざるを得ない。
 あらかじめ断っておくが、いま「アベノミクス」と呼ばれている自民党の経済政策の原型は昨年8月、谷垣総裁と甘利政調会長の下でまとめられた「日本経済再生プラン」であり、以下の論評はこの「日本経済再生プラン」(以下「プラン」)に対するものである。
 「プラン」は《T》の「財政を健全化しつつ、円高・デフレ・空洞化対策に最優先に取り組みます」で、「政府・日銀の物価目標(2%程度)協定の締結」「国土強靭化計画の効果的な実施」「約20兆円にのぼる東日本大震災被災地復興事業や、・・・事前防災、減災を実現する国土全体の強靭化事業を、日本経済再生の起爆剤として・・・」など、「アベノミクス」として展開されている金融緩和策や財政出動に言及し、つづく《U》で「世界でいちばん企業が活動しやすい国にするべく「日本経済再生・競争強化基本法」を制定します」をかかげ、その[1]で「「産業投資立国」としての新たな国家経済モデルを創ります」として11項目の施策を並べている。
 ところがそこには「GDPに、所得収支(海外からの利子・配当などの受領額)を加えた「国民所得」(GNI)を最大化する戦略を描く」とか、「「貿易立国」であり「産業投資立国」でもある「価値の創造拠点」としての強い産業国家を目指す」とか華々しい目標が羅列されてはいるが、具体策になると「法人実効税率の・・・大胆な引き下げ」、「雇い手の社会保険料負担の適正化」など、相も変らぬサプライサイド(供給側=企業)優遇・強化の施策が並び(逆に言えば労働条件の更なる切り下げ策が並び)、これと併せて「円高メリットを最大限活用した海外優良企業のM&Aや資源獲得等の海外投資を積極的に促進」をはじめとして「海外の探鉱活動を支える」、「「臥龍企業」の海外展開について・・・オールジャパンの支援体制」、「エネルギー・環境産業や技術の国際展開を支援」、「コンテンツ産業の国際展開を支援し・・・あわせて・・・ロボット製造技術の活用・育成に繋げる」等々、総じて日本企業の海外展開支援の羅列といった観のある施策が並ぶだけである。
 あげく(9)項の@に「世界のコンテンツのメッカとして、秋葉原を町ごとバージョンアップさせ、東京国際映画祭のグリーンカーペットをアジアのステイタスとするための環境整備を行います」とあるのは、悪い冗談にしても酷すぎる。今日の秋葉原は、政治の介入が無かったからこそ発展したサブカルチャーの拠点であり、だからまたハコモノの「アニメ館」構想でひんしゅくを買った麻生元首相が、大敗した09年総選挙で街頭演説中にヤジを飛ばされた「思い出の地」だからである。
 したがってこれが「産業投資立国」にむけた具体的施策だとするなら、ただただ愕然とする以外にはない。なによりも日本企業の海外展開が欧米諸国と比較して遅れがちだとすれば、それは「プラン」が考えているような国家・政府による資金や政策面での「支援の不足」にあるのではないことに、まったく無自覚だからである。
 日本企業がグローバル展開に立ち遅れた要因の多くは、むしろ前述した「メイドイン・ジャパン」神話が市場の需要構造を的確に捉えることを阻害しているからであり、それはまた現地法人の経営陣に占める地元人材の比率の圧倒的な低さなど、あえて言えば戦後日本企業の「傲慢で排他的な企業文化」というアナクロニズムにこそあるからだ。そして言うまでも無く、こうした日本企業の傲慢さの背後には、アジア侵略の歴史を今も直視しない、古めかしい「皇国史観」に固執する戦後日本の政治イデオロギーがあるのだ。
 したがって多少とも実効性のある「成長戦略」に必要なことは、ケインズの言った「新結合」つまりイノベーションなのであって、「プラン」が羅列するような「官民連携の・・・政策を総動員」することとは次元の違うことなのだ。

▼私たちの課題―民主党政権崩壊の「主体的」総括

 今も好調な「アベノミクス」は、しばらくの間は安倍政権の支持率上昇に貢献しつづけるのは疑いない。だが前述のように、その好調の最も大きな要因は「小泉政権以来の緊縮財政政策の転換」にあり、それが可能になったのは、民主党・野田政権が消費税率の引き上げを決めたことで、「機動的な財政政策」に対する財務官僚の抵抗を押し切りやすくなったという条件を無視することはできない。
 もっとも、イタリア総選挙で緊縮財政反対派が善戦した程度のことで、つまり緊縮財政派が敗北した訳でもない「些細な出来事」に過敏に反応し、たちまち5%の為替レートの変動を引き起こすような不安定な、より正確に言えば「極めて不安定な」金融市場の活況に依存した「アベノミクス」への期待が剥落するのは、これもまた前述したように時間の問題ではある。
 だがそうであればこそ私たちは、この安倍政権の「好調なスタートダッシュ」を可能とすることになった民主党・野田政権による公約違反の消費税率増税の暴挙をなぜ(主体的に!)止められなかったのかを含めて、選挙による政権交代、民主党政権とのかかわり方、民主党政権への幻滅と「私たちの」当事者責任等々、総括すべきことは多いのだと思う。
 そうでなければ、やがて訪れるであろう「アベノミクス」の期待の剥落によって生ずることになる自民党政権への不満や不信を、次の変化―それが社会運動の台頭であれ、選挙での変化であれ―に向けた転機とすることはできないだろうからである。

(3月5日:きうち・たかし)


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