●参議院選挙の総括

勝者なき民主党の敗北

―成長神話の呪縛と民主党政権の混迷―

(インターナショナル第196号:2010年8月号掲載)


▼選挙結果と総括の課題

 7月11日に投開票が行われた第22回参議院選挙は、昨年8月の総選挙で政権交代が実現して以降はじめての本格的国政選挙であり、その意味で自民党に代わって政権の座についた民主党にとっては、有権者に政権交代の評価を問う選挙でもあった。
 だが周知のように、政権交代によって成立した鳩山連立政権はマニフェストに明示した政策から次々と後退して有権者の幻滅を招き、普天間基地の辺野古移設を閣議決定して連立政権の崩壊を招いた直後の5月末には内閣支持率が17%にまで急落、参院選公示予定日までひと月もない6月2日には辞任に追い込まれた。
 代わって新代表に選出された菅直人・財務大臣は、6月4日には国会で第94代総理大臣に指名されて新内閣を発足させ、当初は60%の高い支持を得て支持率のV字回復に成功したものの、「争点としての普天間隠し」とさえ思える唐突な消費税率引き上げへの言及や、政党支持率を意識した強引な国会の閉会など参院選目当ての拙速さばかりが目に付き、それと共に内閣支持率も低下することになった。
 かくして民主党は肝心の政策論争、とくに鳩山政権の挫折を総括し今後の展望を明示しようとする努力さえまったくせずに選挙戦になだれ込み、結局は劣勢を挽回できないまま投票日を迎えることになった。
 まさにこうした迷走と拙劣さの結果として、民主党は改選54議席を大きく下回る44議席に後退、逆に野党・自民党が改選38議席を大きく上回る51議席と躍進したのをはじめ、小泉構造改革の焼き直しがマスメディアでは好評のみんなの党が1議席から11議席に急増するなど、参院選直前に政権を離脱した社民党も含めた野党勢力が与党系110議席を上回る 132議席となり、衆議院と参議院とで多数派が異なる「衆参ねじれ」が、民主党政権下でも再現されることになったのである。

 したがって参院選総括の第一の焦点は、「勝者なき民主党の敗北」と言うべき参院選の結果をふまえて民主党の敗因を解明することにあるが、その核心問題は、マスメディアがさんざん指摘した「小沢と鳩山のカネと政治の問題」や、菅首相が唐突に言及した「消費税率の引き上げ問題」にあるのではなく、民主党政権への信頼が、その公約と政策遂行能力の両面で大きく揺らいでいる問題の解明にあると思うのだ。
 というのは、「勝者なき民主党の敗北」と言う選挙結果の特徴と、総括第二の焦点である「社民・共産両党の敗因の解明」にも通じることだが、いわゆる「政治とカネ」や「増税」が争点となった選挙ではその批判勢力が躍進するという、「戦後政治の常識」がまったく通用しなかったという厳然たる事実があるからである。
 もちろんそれは、「政治とカネ」や「増税」が選挙戦の争点とは到底言えなかったにもかかわらず、これを争点だと強弁してきたマスメディアによるミスリードを暴く事態でもあるのだが、しかし同時に、政治腐敗や増税について声を大にして非難してさえいれば人々の政治に対する不満や不信の受け皿となり、現状に対する「批判的勢力としての存在意義」を示すことができた自民党一党支配の時代が、選挙を通じた政権交代が実現した昨年の総選挙以降、大きく変貌しはじめたことの傍証でもある。
 つまり鳩山代表が率いた最初の民主党政権が「政治とカネ」の問題で挫折し、さらに政権を引き継いだ新内閣の菅首相が唐突に「増税」に言及したことで民主党が敗北を喫したのだとすれば、民主・自民の二大政党を貫く政治腐敗と増税を真っ向から批判してきた戦後革新勢力すなわち社民党と共産党は、「戦後政治の常識」に従えば参院選で大いに躍進して当然であった。だが現実にはこの戦後革新を代表する2つの老舗(しにせ)政党は、マスメディアの「反小沢」をむき出しにした政治腐敗非難と、「構造改革をおざなりにした増税反対」という論調一色のキャンペーンにもかかわらず、共に今回の参院選挙での敗北を通じて政党としての存亡の危機に直面している。
 それは自民党という不動の政権政党の存在を前提に、これを外在的に批判することに存在意義を見い出してきた戦後革新勢力のあり方が、選挙による政権交代の経験を機に有権者に見限られつつあるとは言えないだろうか。
 したがって選挙総括第三の焦点は、「社民党再生の切り札」とみなされてきた辻本清美衆院議員が社民党を離党した現実をふくめて、自民・民主の二大政党制に抗するいわゆる第三極となる新たな政治勢力の形成は、いかなる戦略的展望を持たなければならないのかを考察することである。

▼改革路線を引きずる民主党の混乱

 まず「勝者なき民主党の敗北」という選挙結果の特徴は、獲得議席数では第1党になった自民党が、比例区の「政党名での得票」つまり政党選択そのものが問われる得票数では、第2党に甘んじた事実に端的に現れている。
 民主党の「政党名での得票」が1443万3171票なのに対して、自民党は1065万7166票と400万票もの差をつけられたが、これに比例代表名簿に搭載された両党候補者個々人の得票を加えると、自民党は1407万1671票(24・07%)で12議席、民主党は1845万140票(31・56%)で16議席と、獲得議席数でも差を付けられているのだ。
 実際にも自民党の勝利は、前回の07年参院選で6勝23敗と大きく負け越した1人区で21勝8敗と勝ち越したおかげだが、その実態は大半が民主党新人候補の挑戦を自民党の現職議員が退けたという構図に過ぎず、むしろ民主党の方が、07年参院選圧勝の構図を再現するのに失敗しただけとも言える。現に民主党の現職議員に自民党候補が競り勝った1人区は、21選挙区中4選挙区しかない。
 つまり今回の選挙では、民主党政権の迷走やら言動のブレにもかかわらず、あるいは「政治とカネ」と「消費税増税」を強引に争点に仕立て上げたマスメディアのキャンペーンにもかかわらず、多数の有権者は「政権交代の意義」を再確認し、「自民党政権には戻さない」という確固たる意思を示したと考えていいだろう。
 そして何よりも「政治とカネ」や「消費税」が選挙戦の争点なら、自民党もまた民主党と同様に手痛い敗北を喫しても不思議はなかったはずなのだから、少なくともこれが民主党の敗因ではないことも明らかであろう。
 むしろ民主党の敗因は、政権交代に懸けた人々の期待に反してマニフェストに掲げた公約をなし崩し的に後退させ、あるいは政策内容をコロコロと変更することで有権者の不信を買ったことにあるのであり、その典型的な例が、鳩山退陣の直接的契機となった普天間基地移設に関する公約の反故と「日米合意」への逆戻りだったし、子ども手当ての支給や赤字国債発行額をめぐる予算編成での迷走であった。

 こうした民主党政権の動揺と混迷の原因は「戦略的な混乱」、より正確に言えば「民主党内の戦略的不統一」にある。だがこれだけなら、それは民主党が「政権交代を唯一の戦略目標とした雑多な政治傾向の連合体」であることの当然の帰結に過ぎない。
 だがここで問題にしたい「戦略的不統一」は、「構造改革」とか「成長戦略」などと呼ばれる、いわゆるグローバリゼーションの進展にあわせて戦後日本の経済システムや企業統治の転換と再編を促そうとする、国家再編と経済政策を左右する基本政策に関する「不統一」のことである。この不統一と混乱をあえて単純化すれば、「改革なくして成長なし」という小泉構造改革の継承と推進か、それとも08年9月の金融グローバリズムの破綻と世界金融恐慌を踏まえて、2001年4月の小泉政権登場以来推進された、構造改革という名の「再分配システム破壊政策」からの抜本的転換を図るのかをめぐって、民主党にはまったく何の統一性もないということである。
 もちろん、自民党もまた「政権党であることを接着剤とした雑多な政治傾向の連合体」であり、小泉政権以降は深刻な党内の不統一と戦略的亀裂にさいなまれてきた。それでも自民党は、長い政権運営の経験を通じて官僚機構とも共有する多様な調整機能、言い換えれば「根回し」とか「暗黙の了解」などと称する非公式(インフォーマル)な事前の政策・利害調整のノウハウを最大限活用し、今日の民主党政権と同様の矛盾を抱え込んだ安部、福田、麻生政権の戦略的不統一の露呈を極力押さえ込み、同時に改革路線をなし崩しにすることで延命を図ってきたのである。
 そしてまさにこのなし崩しと改革路線の継承という「偽装」が、自民党から政治的柔軟性を奪い、政策的矛盾を深めて閉塞感を助長し、ついには昨年夏の総選挙における歴史的惨敗を招いたと言うべきである。
 したがって鳩山政権の為すべきことは構造改革路線からの転換を明確にして、拡大した不平等と格差との是正(そう!とりあえずは是正からしか始まらないのだ)に必要な諸施策への「選択的集中」であったし、社民、国民新両党との連立合意にも小泉路線に対する批判が明記されてはいた。だが当時の鳩山首相も民主党の閣僚たちも、小泉改革路線からの転換が、戦後の日本社会に染み付いた「経済成長神話」という呪縛からの解放でなければならないことには、気づいてはいなかったのだ。
 それはとりもなおさず、「改革なくして成長なし」とか「痛みに耐えてがんばろう」のフレーズに要約される小泉改革の実態がいかなるものだったのか、民主党の側には共通した認識と評価がなかったことを暴露している。
 結果として政権を奪取した民主党には、小泉改革に賛辞さえ呈した前原代表時代の戦略的思考と、「国民の生活が第一」を掲げた小沢代表時代の、まるで自民党・田中派の再来を思わせるような「国家資金の大判振る舞い」による景気対策といった戦略的思考だけが論争もないまま同居し、「ポスト・グローバリズム」という抜本的転換に必要な戦略構想の準備は、ほとんど何もないまま政権を担当することになったのである。
 蛇足ながら付け加えれば、「脱官僚」を掲げた民主党政権の下では、混乱の回避もしくは隠蔽のために自民党政権下では機能したインフォーマルな調整機能は、官僚の側から発動するのは憚られたであろうし、民主党の政策調査会の廃止もまたこうした調整不足の混乱に拍車をかけたと思われる。

▼「福祉国家」と「革新自治体」の挫折

 だが、構造改革や成長戦略から転換する戦略構想を持たなかったのは、もちろん民主党ひとりではなかった。小泉政権以降の自民党もまた、社会的公平を著しく犠牲にする小泉・竹中流構造改革に対する反対と批判は片隅に追いやられ、表向きは誰もが「改革を止めるな」の看板を掲げざるを得なかったのは前述のとおりである。
 そしてここからが肝心なことだが、靖国参拝問題などに象徴される戦後日本の保守的アナクロニズムへの抵抗と、不十分とは言え基本的人権や民主主義という進歩的価値観の代弁者を自認する戦後革新勢力が、実は頑迷にして無自覚な、この経済成長神話の信奉者だということである。
 これが、参議院選挙で革新政党の老舗・社民、共産両党が敗北した要因であり、だからまた選挙総括の第二の焦点なのである。

 こうした指摘を疑問に思う読者もいるだろうが、社民党と共産党が一貫して提起している「福祉国家」もしくは「国家による上からの福祉制度の拡充」は、戦後資本主義の経済的好況という条件の下で、今日では「バラマキ」と非難される大胆な所得再分配が「ケインズ主義に基づいた経済政策」と混同されて実施されてきた事実を確認するのは、やぶさかではないだろう。
 つまり戦後近代国家が、経済的好況で増大した税収を公共投資のみならず社会保障の拡充にも投じ、それによって国民一人当たりの可処分所得を増加させて大衆消費市場の膨張を促進し、いわゆる「個人消費を牽引車とする拡大再生産」という経済的好循環を達成しようとする諸政策のパッケージが、ヨーロッパ社民勢力が「福祉国家」と呼んだ戦略構想の経済的現実であった。
 言い換えればそれは、社民・共産両党が並べる年金、医療、介護など社会福祉を拡充する「福祉国家」のための諸施策は、経済的好循環による税収の持続的増加という条件が失われれば、たちまちその現実性を失うということでもあった。現にヨーロッパでは、1973年のオイルショックを機に露呈した過剰生産、すなわち大衆消費市場の飽和状態による「需要不足」で不況に陥った70年代半ば以降、福祉国家の展望は急速に色褪せ、社民党政権は次々とその座を保守政党に明け渡すことになったのである。
 他方、日本では70年代前半、「福祉国家の地方自治体版」と言える革新自治体が、当時の社会党と共産党の共闘=社共共闘を基盤に台頭し、これに対抗するように、「国家資金の大判振るまい」で革新自治体の基盤である新興中小事業者を切り崩す公共事業が、田中自民党政権によって強力に推進された。それは、当時すでに弱体化しつつあった自民党の支持基盤である地方と農村部に潤沢な国家資金を流しこむ、「列島改造」公共事業の展開と一対のものであった。その意味で田中政権の政策パッケージは、「地方自治体版福祉国家」に対抗した「日本的福祉国家」の体系と呼べるかもしれない。
 そして「自民党をぶっ壊した」小泉政権の登場は、90年代初頭のバブル景気の崩壊とその後の長期不況で、田中政権下で「制度化」された国家資金の大盤振る舞いが維持できなくなった結果だったことは、周知のとおりである。
 だが結局のところ小泉改革の実態とは、1960年代以降の高度経済成長が再来するかのような幻想を振りまくために、「守旧派の利権」を叩く派手な手法で公共事業に大ナタを振るうことで地方に回る国家資金を大幅に削減する一方、「国際競争力の強化」を名分に大幅な企業減税を実施し、あるいは厚生年金や健康保険の企業負担を軽減する規制緩和や民営化を推進することで、自動車と電機に代表される日系多国籍資本に手厚い保護を与えたに過ぎない。そのうえ日銀が、為替市場を歪める「ドル買い・円安」政策で輸出を支援したのだから、「旧来型産業である製造業の典型」である日本の自動車メーカーが、世界的競争で有利に闘いえたのは当然だったのである。
 したがって小泉・竹中の改革路線は、旧態依然たる「輸出主導の経済成長」という「戦後日本の旧構造」を、多国籍資本とその系列下の狭い範囲で「縮小再生産」したにとどまり、逆に「為替市場を歪める円安」政策が、日本の産業がはらんでいた多様な可能性の停滞を招く――例えば小泉政権の5年の間に、首位の座にあった太陽光発電(ソーラーパネル)の市場占有率(シェア)がドイツに逆転された事実に象徴される――という、むしろ深刻な「損失」を招いたと言わなければならない。
 ところが小泉改革を批判してきた社民、共産の両党は、史上最高益を更新しつづける自動車や電機メーカーの賃金抑制策を批判し、大衆消費の拡大を促す大幅賃上げによって景気回復を図るべきだと主張し、あるいは地方経済の疲弊を救済すべく国家資金の投入で地域経済の再生を訴えたように、「経済成長の再来で豊かな日本を回復する」という展望に関しては、小泉政権と少しも違ってはいなかったのだ。しかもそこには、大衆消費社会の飽和状態という「豊かな消費社会」の行き詰まりや、輸出主導の景気回復に対する疑義や批判など、「ポスト・グローバリズム」の戦略構想に不可欠な批判的認識は、残念ながらほとんどない。右肩上がりの経済成長を前提にした福祉の拡充は、はたして今後も持続可能なのかという批判的認識がなければ、「改革なくして成長なし」という、小泉のばら撒く幻想を鋭く批判することができなくて当然であった。
 かくして、経済成長を前提にした福祉の拡充を訴えながら、肝心の経済成長を実現しようとする「成長戦略」には反対して「対案」も示さないのでは、有権者の多くが、端から現実性のない政策として検討対象からさえ除外してしまったとしても、それはある意味では必然的でさえあるだろう。社民、共産の両革新政党は、まさに負けるべくして負けたと言う以外にはない。
 しかもこうした自己矛盾に気づかないか、気づいてもこれを正せないところに、不動の政権党・自民党に対する外在的批判にだけ自らの存在意義=アイデンティティを見い出してきた戦後革新勢力の、今日の凋落の要因が凝縮されている。

▼「改革路線の破綻」の確認が必要だ

 昨年8月に現実となった選挙による政権交代は、こうした戦後革新勢力の基本的あり方に重要な転機を突きつけたが、その核心的課題は、自民党であれ民主党であれ政権を握る可能性のある二大政党に対する批判的勢力が存在感を示すには、野党として外在的批判の展開にとどまることなく、「現実的対案」を積極的に提示して政権党と協議・連携する覚悟も必要だと言うことである。
 実際の選挙戦でも、普天間問題で政権を離脱した直後の社民党に対する共感は、福島党首の、普天間移設の白紙撤回がなければ連立復帰はないという、民主党政権への最後通牒と事実上の「永久野党宣言」を契機に反転し、連立与党として約束した年金や高齢者医療の改善に関する「無責任な対応」への危惧の声が日ごとに強まり、結局は前回を下回る得票率へと後退することになったのだ。
 そしてもちろんこうした「覚悟」は、すでに弊害が明らかな二大政党制に抗する新たな政治勢力にとっても不可欠な条件と資質に違いない。
 なぜなら今日の「対案」は、経済成長を前提にして、言い換えれば景気回復と税収の増加を見込んで「社会保障の量的拡大」を実現しようとするのか、それとも超低成長もしくはマイナス成長を見据えて、つまり税収の増加がほぼ期待できない条件の下で、格差を是正する「社会保障制度の再構築」をめざすのかという、経済的前提条件とそれを踏まえた目標という点で「対極的選択」をはらまざるを得ないからである。
 改めて言うまでもないが、前者は2008年のリーマンショックによって破綻した新自由主義と金融グローバリズムに至った「改革によって新たな経済成長をめざす」という戦略の継承であり、逆に後者は、戦後世界の経済的好循環の土台となった「拡大しつづける大衆消費市場」という非現実的展望の限界を明確にし、その上で人々の生存権を保障する社会制度の再構築をめざす戦略である。
 さらに後者には、国家をめぐる対極的な2つの選択肢がはらまれている。ひとつは、国家による上からの施策としてそれを実現するのか、逆に国家資金への依存を小さくしつつ、地域的な大衆自治の中に新たな社会的機能を見い出そうとするのかという選択肢であり、「上からの改良」は「福祉国家」とほぼ重なり、地域的な大衆自治を基盤とする新たな互助機能の構想は、「地産地消」や「地域社会の再生」といった、あえて言えば「下からのイニシアチブ」で今日的課題に挑む人々の運動の中から、経済成長や国家に過度に依存しない新たな社会保障システムを育もうとする展望である。
 しかし現在、こうした幾つかの対極的選択の中で最も重要なことは、一昨年9月のリーマンショックと世界金融恐慌の進展という現実を踏まえて、金融グローバリゼーションに追従すべく採用された、規制緩和と民営化に彩られた「構造改革」路線からの抜本的な転換を明確にすることである。と言うよりも、「改革なくして成長なし」という小泉元首相の得意のフレーズを明快に否定し、小泉・竹中改革なるものが「完全な失敗に帰した」ことを確認することなしには、この「改革」がもたらした格差や不公平を是正する系統的な政策へと転じることは出来ないからである。
 だがまさにこの点で、有権者の過半数の支持を競う小選挙区制度の上に成立する二大政党制は、現に民主党と自民党がそうであるように、多数派におもねる曖昧で中間的な姿勢に終始し、路線転換もなし崩し的にしかできないことで社会的・経済的混迷の無用な長期化を招くことになるのだ。
 しかしだからまた第三極が、つまり「成長戦略」なる幻想を引きずる民主・自民の二大政党による曖昧な対立や争点とは区別された、人間の尊厳とか社会的生存権の保障とかある意味では理念的な価値観に基づいて、しかし「社会的・経済的混迷」を打開するために必要な選択肢を明快に提唱してキャスティングボードを握る、新たな政治勢力が客観的にも必要とされる理由もあるのである。

 最後に、辻元清美議員の離党で存亡の危機に直面している社民党について述べておきたい。実は、前述の「新たな政治勢力」の形成にとって、社民党の存在は大きな意味を持っている。この党の現状がいかに苛立たしいものではあれ、そこに継承されてきた「連合戦線的な組織性格」が、二大政党制では集約できない民衆の期待に応えようとする多様な人々の、この党を「活用しようとする」活動を促しつづけるからである。
 それは土井委員長時代の社会党が「市民との絆(きずな)」を掲げ、離党した辻元清美らが「土井チルドレン」として国会議員に当選して以来、こうした「市民的議員」の周辺を中心に粘り強くつづけられてきた。今回の参院選で、「土井チルドレン」の一人である保坂展人・前衆院議員の比例区選挙に、文字通り全国の多様な勢力が結集して選挙戦を担ったことが、それを象徴している。
 だが周知のように保坂候補を当選させるにはいたらず、辻元議員は離党に至った。それは、社民党を「市民との絆」で再生しようとする努力のひとつのサイクルの終焉であると同時に、日本の市民派と左派とが、この党の「再編的再生」にどこまで積極的に関与するべきかを、改めて問うことになったのである。
 こうした厳しい現実を踏まえた上で、市民派と左派の当面する第一の課題は、二大政党制では集約できない人々の期待と要求を、地域と現場から組織することで新たな政治勢力の基盤を広げる、地方議会を舞台とする闘いである。来年の統一地方選挙で、「社民党の再生」を視野に入れた市民派と左派の地方議員たちが、どのような協働を実現しどれだけの仲間を得ることができるかで、政党再編の胎動をはらむ次の総選挙で、市民派と左派が「挑戦できること」が左右されるだろうからである。
 そしてもう一つの課題が、経済成長と国家に依存しすぎない、民衆の自治の力に依拠した社会保障システムの再構築を、「市民憲章」のような具体的な形として準備する全国的な運動を、地域からも始めることである。
 菅民主党政権が、ヨーロッパを震源とする世界金融恐慌第二波の懸念と「衆参ねじれ」という条件の下で、自民党との大連立へと逃げ込む危険がある以上、あえて言えば「下からの」イニシアチブを強化するこうした挑戦は、小泉改革を清算できないことで深まる混迷と閉塞状況を打開する、ひとつの可能性でもある。
 いずれにしろ私たちは、菅政権の存続にかかわる民主党代表選挙の結果を待って、次期政権の行方を冷静に見極めることから始めなければなるまい。

(8・23:きうち・たかし)


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