●イラク・元自衛官戦死の衝撃

日本人傭兵の死と民営化される戦争

−日本政府はなぜ、傭兵たちに警告を発しないのか−

(インターナショナルbP56号:2005年6月号掲載)


 地中海のキプロスに本社を置くイギリス系民間軍事会社(PMC=Private Military Companies)「ハート・セキュリティー」に所属する元自衛官・斎藤昭彦さんが、イラクの武装勢力「アンサール・アルスナン」に拘束されたことが報じられると、昨年の誘拐事件とは違った衝撃が日本社会に走った。
 それは何よりも斎藤さんが傭兵としての任務遂行中に反米武装勢力に襲撃され、激しい銃撃戦の末に負傷して拘束されて半月後には死亡したという事実が、戦後日本社会にとって衝撃的だったからである。
 その理由のひとつは、多くの日本人にとっては「日本人傭兵」の存在そのものがほとんど知られてこなかったからである。ドラマや小説の世界でしか知りえなかった傭兵と日本人の関係が、思いがけない現実として現れた事に衝撃を受けるのは当然であろう。だが同時に日本社会は、銃撃戦というリスクを十分に自覚した日本人がイラクで軍事的活動に従事し、実際に戦闘行為に関与するというまったく想定外の事態に直面し、不意を打たれて狼狽したとも言える。
 現に日本政府が、だからまた多くの日本人が想定していたのは非武装の民間ボランティアが「襲い易い目標=ソフトターゲット」として標的にされる事態であって、日本人の傭兵が戦闘の末に拘束される事など考えてもいなかったのは明らかである。
 だが問題はこの先、つまり想定外の事態にどう対応するかが問われたのだが、それは改めて「日本の国際的非常識」を暴露しただけであった。

▼戦争に関する無知と無自覚

 その非常識はまず、不意を打たれて狼狽した日本政府と与党の「救出に全力をあげる」という、まったく非現実的で的外れな対応として現れた。
 というのも斎藤さんが傭兵つまり「非正規戦闘要員」であることが明白な以上、日本政府にできることはせいぜい「ジュネーブ条約に基づく捕虜としての正当な扱い」を求めるコメントを出し、次いで彼の雇用主であるハート・セキュリティー社に救出を要請、それに対する協力を申し出る程度のことしかできないのは、戦争という現実を直視する者には歴然としていたからである。なぜなら戦争は相互に敵の殲滅を目的とする暴力の応酬であって、正規と非正規とを問わず戦闘要員の殺害や拘束はこの目的を達成するための当然の行為に過ぎない。とすればイラクの現実である戦争という条件を度外視して斎藤さんの一方的解放を求めるのは、イラクの現実と戦争に関する日本政府の無知と無自覚を暴露しただけである。
 ところがである。イラクへの自衛隊派兵に反対し軍事的関与を批判してきた共産・社民の野党勢力もが、これまでの「拘束事件」と同様に「救出に全力を尽くせ」と応じる、実に奇妙な共同歩調が現実となった。つまりイラクへの自衛隊派兵に反対してきた野党勢力もまた、非武装の民間人が誘拐された場合と戦闘要員が拘束された場合とを混同し、結局は「日本人の救出」という民族主義的規範を共有して政府・与党に歩調を合わせ、「傭兵の安全と解放」を要求するという非常識さを露呈したのである。

 では自衛隊の派兵に反対してきた野党勢力は、何をなすべきだったのだろうか。
 それは現在もイラクで任務に就いている日本人傭兵たちに対して、日本政府が何らかの警告を発するように迫ることであった。少なくとも戦闘に関与した在外日本人が、その結果として被る被害については日本政府による外交的保護の対象にはならないという警告である。そうでなければ自衛隊の派兵を「人道復興支援」と強弁し、イラク人傭兵が警備するサマーワの自衛隊駐屯地を「非戦闘地域」だと言い張る小泉政権の対イラク外交は、整合性を持てないことになる。自国民が傭兵としてイラク占領に軍事的に関与するのを容認しながら、自衛隊派兵を「人道復興支援」などと強弁するごまかしは外交的には通用するはずもないのだ。
 だがことの本質は、「戦争の民営化」と呼ばれる現代の戦争の危うい様相について、与野党を問わず日本の政治勢力がほとんど何も意識していないことであろう。「テロとの戦争」の下で急成長するPMCは、古典的な帝国主義軍隊の思想と構造を継承する一方、文民統制(シビリアン・コントロール)を含む「国家による軍事の独占的統制」という戦争観そのものを変貌させつつある。

▼PMC増殖の構図

 「戦争の民営化」と呼ばれる近代戦争の変質は、「1985年に(アメリカ)国防総省がはじめた『LOGCOP』と呼ばれる米軍の外注化プロジェクトに始まる」(本紙145号:時評)。それは91年の湾岸戦争では兵站と補給を民間企業に下請けに出すレベルだったが、イラク戦争はその様相を変えた。
 イラクの占領と治安を維持する兵員の不足に悩まされた「有志連合」軍は、主要な施設の警備から要人警護、そして戦後復興事業の利権に群がる欧米企業の警備に至るまで、本来なら占領軍として担わなければならない各種の警備任務をPMCに次々と丸投げすることを余儀なくされただけでなく、治安の維持さえおぼつかない有志連合軍に頼れなくなったイラク進出企業もまた、PMC(民間軍事企業)に施設や要人の警護さらには人と物資の移動中の警備を発注することを余儀なくされたのである。
 だが占領下のイラクで、占領当局の許可なしに「企業の私兵」を雇うことが可能なはずもない。要は有志連合軍幹部たちの仲介によって、退役軍人が設立したPMCに民間企業が警備の仕事を発注したのである。仲介した有志連合軍幹部にとっては、政府の不興を買うであろう増派要求をせずに先輩軍人の企業に利益をもたらすことで恩を売り、あわよくば退役後にPMC幹部として「天下る」文字通り一石二鳥の妙手でもある。
 結果として、2004年夏の時点でイラクで警備業務に携わるPMCは35社、「社員」総数は2万人に達したと言われており、以降の治安悪化を考えればその数は増えてはいても減ってはいないだろう。この傭兵たちのうち、気になる日本人の数は60人とも80人とも言われその多くは自衛隊経験者だが、後に紹介するようにその動機は一様ではない。
 ところでこのPMCへの発注の急増は、「LOGCOPと呼ばれる米軍の外注化プロジェクト」に新しい質を与えはじめた。

 LOGCOPは当初から兵站整備や物資輸送の他にもアメリカ政府が公式には支援できない親米派勢力への軍事訓練を請け負うなど、「米軍の下請けシステム」の構築を視野に入れた計画であった。イラクにおいても「イラク人治安部隊」の訓練の多くがすでにPMCによって担われているが、ネオコンが主導した少数の精鋭部隊による電撃的攻撃戦略の結果、PMCに対する新しい需要が急増した。この需要の大半は前述した治安維持の兵員不足の穴埋めなのだが、それは派遣兵員の不足を度々指摘されるブッシュ政権の国防相・ラムズフェルドの失策を隠蔽し、同時にイラク戦争に対する国民の支持を脅かす米軍兵士の戦死者数を減らす「代替兵」としての傭兵の活用に道を開くことになった。
 もちろんそれは繰り返し用いられてきた、帝国主義軍隊の常套手段ではある。だが現在のPMCの台頭は「中央集権国家による軍事力の独占」という、20世紀の軍事規範の変質を内包しはじめているように思われる。「テロとの戦争」という概念が「国家間の総力戦」という戦争形態を過去のものにしたのと軌を一にして、多国籍企業の権益を防衛する私設軍隊が国家と国際社会の統制と規制を離れて「自由に戦争をする」、かなり危うい事態が進行しつつある。

▼私的な軍事行動の膨張

 自国兵士の戦死者数の増加が、国民の厭戦気分を助長するのを回避するための「近代傭兵」の起源は、1831年にフランスのブルボン王朝・フィリップ1世の治世下で編成された「外国人部隊」だったと言われるが、その契機となったのは北アフリカ・ナイジェリアを植民地化する過程で増大したフランス軍の戦死者であった。
 フランスは世界で初めて徴兵制を導入して国民皆兵の先例となったが、それはまた国外での戦争と兵士の戦死とを人々にとって身近な問題にもした。こうして当時のフランスで「戦争は〃雇い兵〃にさせるべきだ」との声が高まり、「フランス外国人部隊」の創設を促したのである。この手法は後にイギリスのインド支配において「グルカ兵」という現地人部隊の創設などとして広く普及し、旧大日本帝国の満州支配でも「モンゴル軍」の創設などとして実践されるが、これらの部隊は正確には傭兵ではなくれっきとした正規軍であった。
 つまり帝国主義軍隊の常套手段である「外国人部隊」と現在のPMCとの決定的な違いは、前者が一応は「国家が統制・管理する軍隊」であり、その運用権限もまた正規軍が掌握していたのに対して、イラク戦争によって台頭するPMCの傭兵は文字通りの意味で私設(=Private)の軍隊つまり「私兵」の性格を強めており、警備や訓練が主な請け負い業務であるとは言え、警備行動の実践的側面ではかなりの程度正規軍の統制を離れ、「警備の必要」に応じた「違法な戦闘行為」に手を染めはじめている。

 斎藤さんの拘束が明らかになった5月10日、バグダッドの反米武装勢力の幹部は朝日新聞の取材に応え、外国警備会社は「イラク人にとって米軍以上に危険な存在だ」と語っている。なぜか?
 彼らは「復興請負業者を護衛して、イラク国内を移動するが、沿道を銃や機関銃で威嚇しながら猛スピードで突っ走り、何か不審なものがあれば、警告もせずに銃撃する。それでイラク人が死傷する事件が起きている」からである。さらに「イラク人が被害を米軍に訴えても『知らない』と突っぱねられ、泣き寝入りするしかない」(朝日:5/11)のが実態なのである。
 正規軍のように空軍や機甲部隊の支援や援護を期待できない傭兵たちにしてみれば、目に映るすべての不安は機先を制して掃討する以外にない。たとえそれが後で非戦闘員だと判ったところで、一瞬の躊躇が自らの破滅につながる危険の前では自制は極めて難しい。高額の報酬が魅力だとしても、死亡や負傷に対する保障金が正規軍の10分の1にも満たない傭兵たちは、「戦争の民営化」がもたらす戦場のモラルハザードを象徴する。もっとも建前としての戦争の国際規範が、戦場のモラールをどこまで確保できるかには大いに疑問はあるが、それでも戦争犯罪に関する国際的規範は正規軍には無視できない歯止めとして作用している。
 だがこうして反米武装勢力から見れば、PMC=私設軍事会社の傭兵は憎んで余りある敵として最も重要な標的のひとつとなり、それが傭兵たちの不安を助長して無警告の攻撃をさらに増加させる。戦争という行為はなお国家の専権事項として発動されながら、その実態である戦闘行為はますます私的な軍事行動に多くを委ねる事態が、つまり国家や国際社会の監視や統制から乖離した私的軍事行動が、「私企業の警備」という名目で膨張しはじめているのだ。
 それはまるで国王の許諾を得て、私設の軍隊や艦船を操る「民間人」が国軍を代行して植民地獲得の先兵となった、17〜18世紀の野蛮の再来を思わせる。そしてもちろん現代の「国王」は、世界中の資源と富の支配を目論む多国籍資本である。

▼傭兵たちの実像

 今回の事件では「日本人傭兵」が注目されたが、イラクに居る傭兵の大半はやはり「貧しい国々」の人々である。
 『世界』7月号掲載の山本美彦氏の『暴力民営化の時代』は、「イラクの戦争は、エリートの命令下、米国の下層民と世界の棄民たちによって支えられている」として、英国PMC社員としてイラクに派遣されているネパール人軍人をはじめ、チリ出身の元警察官や軍人、ボスニアやフィリピンの元軍人たちがPMCの傭兵としてイラクに大量に派遣されていると指摘している。
 結局グローバリゼーションの進展が拡大した世界の経済格差が、多国籍資本の権益を擁護する傭兵たちの供給源を作り出してもいるのである。だがその中で「豊かな国」日本人の傭兵は、どんな動機に駆られて募集に応じたのだろうか。

 フランス外国人部隊に憧れ、99年5月から1年間入隊した神戸市の会社員は、「空手を学ぶうちに『極限まで体を鍛えたい』との気持ちが強くなり」大学卒業後に自衛隊に入隊、「仲間内で見たビデオで初めて仏外国人部隊を知」り、「国際部隊での活躍に、気絶するまでの訓練。自衛隊には絶対にない厳しさにあこがれた」( http://www.asyura2.com/0502/bd39/msg/607.html )と言う。だが彼はいま、入隊試験の試験官だった斎藤さんを振り返って言う。
 「部隊に入っても、君の求めるようなものは何もない。今のうちにやめておいた方がいい」と(斎藤さんは)一生懸命に言っていた。当時は、心を試すための言葉だと受け止めていたが、今思えば、本心で言ってくれていたのかも」と心中は複雑だ、と。
 斎藤さんのこの言葉は、日本社会で疎外感に悩む青年たちが不用意に傭兵や外国人部隊に憧れることに対する強い警告、日本政府と日本社会が日本人傭兵たちに発することさえできなかった「警告」なのだと、わたしには思えるのだ。

(7/9:きうち・たかし)


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