不良債権の最終処理が招く 不況の深刻化のシナリオ
小泉政権「骨太の方針」発表と株価の下落

2001年7月号(120号掲載)


 小泉首相を議長とする政府の経済財政諮問会議は6月21日、経済財政運営の基本方針いわゆる「骨太の方針」を決定した。
 「改革なくして成長なし」と大見得を切って登場した小泉政権にとって、この「骨太の方針」提示は、構造改革をつうじた日本経済再生の展望を示すものとして必要不可欠なもだったのだが、その内容は、小泉と改革の速度を競い合おうとしていた民主党や自由党からは「骨太ならぬ骨抜き」と非難され、急速な不良債権処理に危惧を表明してきたエコノミストたちからは「改革と経済再生の関連が明確ではない」と欠陥を指摘される程度のものであった。
 つまり不評極まりない公共事業の削減や特殊法人の整理・再編はそれぞれトーンダウンした表現で明記はされたが、それによって生まれる原資(予算)はどの程度で、それはどこにどのように再配分しようとするのかは、漠然としすぎているだけでなく、ほとんど何の目新しさもない観念的政策の羅列にとどまったからである。具体策の提示は結局、参院選後へと先送りされた。
 それからほぼ1カ月後の7月18日、東京証券取引所の平均株価はほぼ4カ月ぶりに1万2千円の大台を割り込み、ついに森政権当時の低水準へと下落した。期待と人気が先行した小泉改革バブルは、金融市場では、はやくもはげ落ちはじめたのである。

改革支持と景気悪化の予測

 この株価下落を、金融市場が小泉改革にNOを突きつけたと断じるのは、もちろんとんだ勘違いである。金融と財政のかなり抜本的な構造的再編なしには、今後10年から20年にわたって日本経済が低迷するであろうというエコノミストたちの確信は、まったく揺らいではいない。だがそうした構造改革の必要性の確信と、当面の景気につていの判断はまったくの別問題である。
 つまり今回の株式市場の反応は、小泉改革が急速な景気回復を達成することはないとの認識、要するに小泉や竹中経済財政担当相が繰り返し主張する「痛み」が、かなり深刻なものとして始まる、あるいはすでに始まっていることの反映である。
 どういうことなのか。それは地価をはじめとする物価下落が持続して資産価値の減価に歯止めがかからず、それが新たな不良債権を生み出しつづける資産デフレの悪循環という環境下で、短期間にかつ強引に不良債権を処理しようとすれば、不良債権化している土地や株式などの担保資産の投げ売りに拍車がかかり、更なるデフレ圧力が強まるのは当然だからである。しかも、すでに相当程バランスシートにダメージを受けている銀行(金融部門)は、リスクを最小限に抑えようと融資の絞り込みを強化し、日銀の金融緩和(量的緩和も含めて)政策の効果をも飲み込む、事実上の金融引き締め効果を日本経済に与えることにすらなろう。
 資産デフレの進行に加え不良債権処理に走る銀行による事実上の金融引き締め効果が、資本主義経済の拡大再生産の局面、つまり好況を呼び起こすことはありえない。その行き着く先は、日本経済の(もちろん旧来的な大量生産・大量消費の国内的好循環という経済システムのだが)壊滅であり、その廃墟の上に日本資本主義が再生される、つまりクラッシュ(恐慌)という荒々しいスクラップ・アンド・ビルドである。
 つまり「骨太の方針」に示された「今後2〜3年の集中調整期間は平均して0ないし1%程度の低成長」は、むしろ極めて楽観的な予測にすぎず、主要銀行の不良債権の直接償却への突進が日本経済を更に深刻なデフレスパイラルに陥らせる危険があり、その兆候は現れはじめている。東京株式市場の平均株価の下落は、こうした認識が金融市場に広がりつつあることを意味している。
 小泉と彼の金融財政政策のブレーンとして抜擢された竹中経済財政担当相のイニシアチブによる改革は、彼らの主観的意図に反してこうした結果を生み出す可能性は高い。
 それは小泉の改革路線への期待、もっと言えば「多少の痛みを我慢すれば景気がよくなるのではないか」という大衆的な幻想の基盤が、確実に掘り崩されはじめたことを意味している。小泉と竹中の予測を越える不況の深刻化は、彼らに期待を抱いた労働者大衆に、大量倒産・大量失業として襲いかかる可能性が現実となりつつある。

国際戦略の不在

 参院選後に先送りされた小泉改革の具体策が明らかになるにつれて、当面の景気に関する悪化の予測は強まることはあっても弱まりはしないだろう。小泉の異常な人気が低下しはじめるのは、これからである。
 しかもここにきて、CO2輩出規制のための京都議定書や核実験全面禁止条約からの離脱を公言しはじめたアメリカのブッシュ政権に対して、小泉政権の外交は全面的追随の印象を与えている。それはアメリカ的標準に他ならない金融グローバリゼーションに対応するための激痛に襲われる労働者民衆にとって、小泉のタカ派的言動も結局はアメリカにはNOとは言えない、旧態依然たる親米・ナショナリズムに過ぎないのではないかとの疑惑を強めるだろう。
 こうして、完全に行き詰まっていた自民党の利益誘導型政治をほとんど〃口撃〃だけで突き崩し、改革を掲げて登場した小泉政権が、実はグローバリゼーションという新しい時代を見据えた国際戦略を持ち合わせてはいないことが暴露されはじめてもいる。

(さとう・ひでみ)

 


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