【米軍イラク駐留協定の成立】

宗派の分解が促進する政治再編

−懸念されるイラク不安定化の現実−

(インターナショナル第184号:2008年12月号掲載)


▼米国の守勢、交渉の難航

イラク国民議会は11月27日、米軍のイラクからの完全撤退の期限を「2011年末」と明記した「米軍駐留協定案」を、賛成多数で承認した。
 これによってイラク駐留米軍は、今年末に期限切れとなる国連決議にもとづいた駐留期間を延長し、今後3年間は「合法的に」イラクに駐留できることになり、あわせて撤退に向けた道筋も付いた形だが、協定が国民議会で承認される過程は、宗派内の分解が深まって混沌とするイラク諸勢力の、米軍撤退後を睨んだ思惑と駆け引きの激しさを垣間見せることにもなった。
 米国がイラクから主権委譲された04年6月当時、国連決議が認めた「多国籍軍」という形での米軍のイラク駐留は、ブッシュ政権にとってもやむを得ないものだった。国際世論の反対を押し切って戦争を強行し、あげくイラク国内の治安の悪化で反米感情も高まっていたからだ。だがブッシュ政権は、当初からイラクと二国間の安全保障協定の締結を望んでいたし、その二国間協定が、恒久的な米軍のイラク駐留を可能にすることを目指していたのも明らかだった。
 ところが、米軍による「反米武装勢力」への度重なる掃討作戦で内戦状態は長期化し、民間人の被害も増えつづけたことで米国への期待は完全に失われ、二国間の安保協定の可能性も失われてしまった。
 だから今回の協定交渉では、国連決議の期限が切れて「不法駐留」になることを避けたいブッシュ政権は守勢に立たされ、他方のマーリキー政権は、「我々は『安保協定』ではなく『米軍撤退とイラク駐留中の活動に関する協定』と呼んでいる」と首相が国民議会で答弁するなど、協定は米軍の撤退が目的だと強調することで協定の年内成立に向けて様々な圧力を加える米国に対抗し、交渉は難航することになった。
 もっともマーリキー政権には、シーア派の連合組織「統一イラク連合」の分解が進んで政権基盤が弱体化していることもあって、シーア派内の反米強硬派であるサドル派にも、あるいは米軍の駐留に利益を見いだすクルド人勢力にも偏らない「独自の姿勢」を示すことで、政権の求心力を維持しなければならない事情もあった。
 そのへんの事情は、米国側の協定案に対してマーリキー首相が要求した修正項目でもうかがい知れる。そこには、@2011年末までの米軍の無条件撤退、A米軍による周辺諸国への越境攻撃の禁止、Bイラク領海に出入りする米軍艦への臨検などがならび、中でも「11年末までの米軍の撤退」は、マーリキー政権には譲れない一線だった。
 また「越境攻撃の禁止」は、駐留米軍に神経をとがらす隣国イランや、「外国人テロリストの掃討」を口実に米軍の越境攻撃を受けたシリアの反発を考慮したものだが、それはまたイランを後ろ盾にするイラク・イスラーム最高評議会(SIIC)や、同じ宗派としてシリアが隠然と支持するスンニ派勢力など、国内諸勢力との関係という点からも譲れない修正であった。

▼クルドの思惑、スンニ派の要求

 当初から守勢に立たざるを得なかったブッシュ政権は、結局「11年末までの撤退」を受け入れ、「越境攻撃の禁止」も「イラク領土を他国への攻撃に使用しない」と、多少曖昧な表現ながら容認せざるを得なかったが、3年間という駐留期間について、「どちらか一方が(つまりイラク政府の側からでも)1年前に通告すれば破棄は可能」という条件まで認めざるを得なかったのは、ブッシュ政権によるイラク戦争の目的=中東に対する恒久的軍事プレゼンスの確立が、完全な失敗に帰したことを象徴していた。
 ところが、これでマーリキー政権が、イラク国内の諸勢力に対して政治的優位に立ったかと言うと、そうでもない。
 最大の懸念材料は、06年にイラク北部3州で地域政府を発足させたクルド人勢力の動向だった。
 協定交渉が難航する中で、クルド人勢力の動向が注目されるきっかけになったのは、10月31日にワシントンにあるシンクタンクで講演したクルド地域政府のバルザニ大統領が、「交渉中の安保協定が成立しなくとも、米軍がクルド地域への駐留を望むなら、クルド地域政府や民衆、議会は温かく迎えるだろう」と発言したことだった。
 バルザニ大統領はかねてから、クルド地域の分離独立の可能性を示唆してきたことで知られるが、このバルザニ発言には、国民議会のアラブ系議員から「イラクの統一をうたった憲法に違反する」「クルドは、でしゃばり過ぎだ」と激しい反発が起きて謝罪要求にまで発展し、バルザニ大統領はその後、「中央政府の承認なしに、米軍がクルド地域に駐留することはありえない」と、釈明に追われることになった。
 しかしもちろん、クルド地域の分離独立の火種は残ったままである。
 米軍の駐留継続に利益を見いだすクルド人勢力に対して、イランを後ろ盾にするシーア派は当然にも米軍の撤退期限の明記にこだわったが、さらにもうひとつの波乱要因も横たわっていた。
 それは米軍のイラク占領直後、「フセイン政権に優遇された宗派」という理由だけで、米軍による「フセイン政府残党」掃討作戦の標的にされたことに反発し、激しい武装抵抗闘争を展開して米軍を悩ませたスンニ派勢力であった。ただし今度は武装闘争ではなく、政治的駆け引きでマーリキー政権を揺さぶったのである。
 激しい反米武装闘争で有名になったアンバール県のファルージャでは、07年から、スンニ派部族を中心にした「覚醒評議会」が米軍の協力によって組織されてきたが、この「覚醒評議会」は、反政府勢力の武装闘争を抑え込むのに多大な貢献をしてきた。04年以降の3年間に、アンバール県での米軍兵士の死者数は月平均30人にも上ったが、現在はそれがわずか2人に激減した事実がそれをよく物語っている。
 そのスンニ派が、難航する協定成立に協力する見返りとして、@来年7月30日に協定の是非を問う国民投票を実施、A米軍に拘束されているイラク人収容者の釈放、Bスンニ派部族で結成された「覚醒評議会」メンバーのイラク治安部隊への編入などの要求をマーリキー首相に突きつけたのだ。
 もちろんこの要求は公式には認められなかったが、当初予定されていた国民議会の採決は、その調整のために丸1日延期された。それは、超党派による協定の承認を目指してきたマーリキー首相の姿勢と、政権与党の「シーア派与党連合」とクルド人勢力だけでは、協定承認に必要な国民議会の過半数に足りないという事情もあったが、何らかの「暗黙の了解」が、マーリキー政権とスンニ派の間で成立した可能性はある。

▼シーア派連合の分解

 こうして11月27日、「米軍駐留協定案」がようやく国民議会で承認されたが、この議決自身も、定数275議席のうち出席は198人(出席率=72%)で、賛成は149人(定数に占める賛成率=54・18%)という、ようやく過半数を上回るものだったのだ。
 ここまで駐留協定の成立が難航した大きな要因は、サドル派が強硬な反米姿勢でこれに反対しつづけてきたからだ。一旦は合意しかかっていた協定は、10月にサドル派が組織した大規模な協定反対デモで頓挫し、結局11月末までずれ込んだのだ。
 つまりシーア派を支持基盤にして、しかもサドル派の強力な支持を得て成立したマーリキー政権は、そのサドル派の抵抗で「超党派による承認」という方法でしか駐留協定の成立を実現できなかったのだが、おそらく今回の「超党派による承認」がまたシーア派連合の分解を促進し、マーリキー政権の支持基盤の弱体化を招くというジレンマに陥っているのだ。
 しかもサドル派の反米強硬路線は、イラン政府と親密な関係をもつSIICとは違って、必ずしもイラン政府の反米姿勢と連動したものではないことも、イラク情勢の混迷に拍車をかけている。イラン政府の意向を返り見ないサドル派は、イラクとイランの政府間交渉や両国の協調では、コントロールすることが不可能だからだ。
 サドル派はむしろ、SIICと親密なイランのシーア派政権に強い警戒感を持っていることは、本紙171号(07年3月号)でも指摘した通りだが、シーア派の正統性をめぐっても、イランのシーア派政権と反目していると考えられる。だがそうだとすれば、マーリキー政権の重要な支持勢力でもあるサドル派の動向は、シーア派内部の世俗派と理念派が対立と分解を深めつつあるという事態を含めて、今後のイラク情勢に大きな影響を与えずにはおかないということでもある。
 こうした、米軍駐留協定をめぐるシーア派連合の分解の進展は、東京外語大学大学院教授で、これまでも優れた中東情勢の分析をしてきた酒井啓子氏が指摘するように、「今後のイラク政治が宗派では語れなくなる」(週刊東洋経済:12/13号)状況を裏付けるものであり、イラク国内の諸勢力の政治再編を否応無く推進することだろう。
 酒井氏によれが、すでにイラクでは「シーア派与党連合」も崩れはじめて、マーリキー首相が所属するダアワ党とスンニ派のイスラーム党が接近し、逆にシーア派のSIICとは距離を置くようになり、そのSIICはクルド人勢力との関係を強めているが、そのスンニ派の「覚醒評議会」にも分裂の兆しが見えると言う。
 つまり今後のイラク情勢は、これまでのようにシーア派、スンニ派そしてクルド人勢力相互の人口比やら教義上の利害といった力関係や、それぞれの勢力が依拠する地域の色分けでは判断のつかない、混沌とした状況を入り始めたのだ。

▼ネオコンの残した負債

 もちろん、米軍による占領政策で持ち込まれた恣意的な「民族的・宗派的区分」の構図は、バース党政権下でそれなりに形成されたイラクの「国民的統一」を解体し、宗派間の対立を煽って報復テロの応酬を深刻にした要因でもあった。
 だが、その占領政策の結果として成立した宗派連合を軸とした連合政権の分解が進展しつつあるとすれば、今後のイラク政府は何を軸にして連立なり連合を構成するのか、まったく不透明にならざるを得ない。
 国民的合意の基盤が解体され、なおかつ部族社会を基盤とした宗派連合も分解した場合、最も鋭く現れる対立は、シーア派にもスンニ派にも内在する「世俗派と理念派の対立」ではないだろうか。だがそれも、親米か反米かの対立を、あるいは親イランか反イランかという対立をはらむだろうし、石油資源をめぐる剥き出しの利権争いが、世俗派と理念派とを貫く新たな対立を顕在化させる可能性も否定できない。
 しかも、不幸にしてこうした混乱が現実になれば、これらの幾つもの対立軸は複雑に絡み合って現れ、小政党の乱立と合従連衡の離合集散が混乱を助長するに違いない。
 何が起きるか予測できない状況ほど厄介な事態はないが、いまイラクは、その岐路に立たされている。

 イラクの混沌たる状況は、就任後16カ月以内に米軍を撤退させるという、オバマ次期政権の公約にも影を落とす。
 イラクの政情不安が再び深刻さを増したとき、はたしてオバマ政権は、ブッシュが始めた戦争であることを理由にその混乱に背を向け、駐留米軍の撤退を進めることができるだろうか。あるいはこの戦争に反対を貫いた欧州諸国でさえ、その混乱を手をこまねいて傍観することができるだろうか。
 そして仮に国連と安全保障理事会が、イラクの「正当な政府」の要請を聞き入れて平和維持軍の派遣を決めようとした場合、ブッシュ政権の「単独行動主義」を否定し、新たな国際協調を掲げるオバマの米国だけが、その埒外に身を置くことは可能だろうか。オバマ政権にとってそれは、自らを裏切ることにはならないだろうか。
 ブッシュとネオコンによって強行されたイラク戦争は、金融グローバリゼーションの破綻に匹敵する大きな負債を残したことだけは確かである。

(12/21:みよし・かつみ)


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