【イラク国民議会選挙】

自賛する成果に埋め込まれた新しい混迷と不安定化の要因

=理念派と世俗派の対立が顕在化するとき=

(インターナショナル第153号:2005年3月号掲載)


▼選挙結果と3つの問題

 1月30日に投票が行われたイラク国民議会選挙の集計結果が、投票から2週間後の3月13日になってようやく公表された。
 公表された集計によれば投票率は58%、投票総数8,550,571票、有効投票数は8,456,266票である。この数字は、米軍占領下の選挙に反対する反米武装勢力の襲撃やテロが頻発する状況下の選挙としては、おそらく望み得る限り最良の結果である。その意味では国際社会の強い反対を押し切ってイラク戦争をはじめたブッシュ政権にとっては、戦争と軍事占領を正当化する格好の成果を手にしたということができる。
 しかし、イラクに親米政権を樹立するというブッシュ政権の真の戦争目的の達成にとっては、選挙結果は必ずしも好ましいものとは言えないのも明らかである。
 問題は3つある。ひとつは48.2%の得票率で議会の過半数を制した「統一イラク連合」は、ブッシュ政権が敵視する隣国イランのイスラム教シーア派政権と深いかかわりを持つことである。同連合がイラク国民の60%を占めるシーア派政党の連合体である以上この結果は予測されたことではあったが、同じシーア派ながらブッシュ政権が支援した暫定政府首相・アラウィが率いる「イラキヤ・リスト(イラクの名簿)」が、得票率13.8%で2割弱の議席しか獲得できなかった結果として、ブッシュ政権は今後、占領軍の撤退をめぐって難しい局面に立たされる可能性が強くなったからである。
 ふたつ目は、「クルド同盟」が得票率25.7%を得て第2党に躍進したことで、トルコなどクルド人居住地域を抱える周辺国が警戒感を強めていることである。しかもクルド民主党とクルド愛国同盟の二大勢力が連合して選挙に臨んだとは言え、国民の約15%と言われるクルド人が議会では25%強の議席を獲得できたのはイスラム教スンニ派勢力がほとんど選挙に参加できなかったためであり、結果として「実態以上の発言力」を持った民族的要求の影響は小さくない。
 そしてみっつ目が、国民の20%を占めると言われるそのスンニ派勢力の民意が、アメリカ軍の激しい弾圧に抗する武装抵抗闘争の激化によって、この選挙にはほとんど反映されなかったことである。

 ところでこうした宗派や民族によるイラク民衆の識別は、アメリカをはじめとする欧米社会が自らの価値観というレンズを通してイラク社会を認識していることを示すに過ぎないし、これを根拠にしたイラク国内情勢の分析が的を得ているとも言い難い。しかし強権的政権が崩壊し、代わって伝統的な部族共同体が強い社会的統制力を持つことになったイラクの現状では、「宗派や民族の衣をまとって現れる社会的利害の対立」はもちろん無視はできない。
 だからあらかじめ断っておくが、以下で述べるイラク国民議会選挙総括に関する筆者の基本的立場は、宗派や民族間の対立と抗争以上に、宗派や民族は同じでも宗教的教義や民族的大義に忠実であろうとするいわば「理念的勢力」(以下:理念派)と、教義や大義よりも現実的必要や可能性を優先するいわば「世俗的勢力」(以下:世俗派)との対立がはらむ重要性を確認しようとするものである。

▼シーア派内の理念派と世俗派

 まずは隣国イランとの関係をふくめて、多数派となった「統一イラク連合」つまりシーア派の理念派と世俗派の検討から始めてみよう。
 イラク・シーア派の最高権威=大アヤトラのシスターニ師は昨年10月、「選挙権のある者は正しく有権者登録をせよ」とのファトワ(宗教見解)を出し、さらにシーア派各政党に連合を呼びかけた。「統一イラク連合」は、これを受けたシーア派16政党・団体によって結成された。
 こうして今回の選挙の成功とシーア派連合の圧勝に重要な役割を果たしたシスターニ師は、実はイランの高名なイスラム法学者の家に生まれながら21歳のときにイラクの聖地ナジャフに留学してアブルカシム・ホイ師に弟子入りし、サーディク・サドル師が99年にフセインに暗殺されたことで後継大アヤトラに選ばれた、近代国家の国民概念ではれっきとした「イラン人」である。
 もちろんシスターニ師が「イラン人」であることがイラク・シーア派とイランのシーア派政権の親密さの根拠ではないし、シスターニ師自身はホイ師の教えに従ってイスラム法学者の政治への不介入を主張し、イラン・シーア派のようなイスラム国家の建設とは一線を画してもいる。
 だが彼のイニシアチブによって結成され選挙で圧勝した統一イラク連合は、必ずしもシスターニ師と同じ考えの勢力だけで構成されている訳でない。なかでも連合の中心勢力であるイスラム革命最高評議会(SCIRI)とダワ党は、湾岸戦争直後の91年3月にイラク南部を中心に広がった反政府反乱以降、フセイン政権に対する反体制運動を展開するなかでイランのシーア派政権と親密な関係を築いてきたのは周知の事実である。
 91年3月の反乱が鎮圧されて以降、SCIRI幹部はフセイン政権による弾圧を逃れてイランに亡命して庇護されてきたし、イラク南部で反体制運動をつづけたダワ党もイラン政府から様々な支援を受けてきた。しかもイランのシーア派政権がSCIRIとダワ党を支援したのは、この両者がシスターニ師とは違って宗教色の強い理念派であったことと無関係ではありえない。
 つまり統一イラク連合の圧勝という選挙結果は、イスラム法をイラク新憲法の法源とするのが当然と考えるような理念派が主導権を握る勢力が、議会の過半を占めたことを意味している。SCIRIの候補者名簿筆頭のハキーム師が「我々はシーア派国家をつくるつもりはない。国民の意見が重視され、誰もが参加できる政府をめざす」と繰り返し表明するのは、こうしたイラクのシーア派とイランのシーア派政権の関係が、アメリカのみならず周辺アラブ諸国にも強い懸念を抱かせていることを承知の上で、これをなだめようとしているからなのである。
 これに対して暫定政府首相であるアラウィが率いる「イラキヤ・リスト」は同じシーア派でも宗教色の薄い世俗派であり、アラウィ自身は亡命イラク人組織「イラク国民合意」(INA)の書記長としてブッシュ政権の信任を得たからこそ、暫定政府首相に就任できたのは明らかである。したがってこの世俗的シーア派は「親米的」であるだけでなく、その支持基盤も南部農村地帯の「シーア派地域」というよりも、暫定行政府の職員や警察官そして軍人など国家や地方の行政機構の担い手たちにあり、だからまたその分だけフセイン政権の下では行政機構に多く登用されてきたイスラム教スンニ派勢力とも協調しやすい勢力でもある。
 アラウィが「挙国一致」や「全イラク国民の声」を唱え、選挙前の2月2日には統一イラク連合に抗するように王党派から共産党そしてスンニ派の有力政党まで招いた会合をバグダッドで開いたのは、「宗派的不均衡」がイラクの混乱を拡大するのを警戒する欧米社会や周辺アラブ諸国のスンニ派政権の不安を十二分に意識した世俗派ならではの対応であったし、同時にこうした国際的背景に依拠して政治的影響力を確保しようとする狙いが込められていたのである。
 現にイスラム教のスンニ派は、世界的に見ればイスラム教徒の9割を占める圧倒的な多数派であり、それはまたこの宗派の世俗的傾向と関係がある。

 この理念派と世俗派というシーア派内部の隠れた対立は、アラウィとSCIRIあるいはダワ党の間にだけでなく統一イラク連合の16政党・団体の間にさえある不協和音であり、これを押さえ込みまとめるタガの役割を果たしているのがシスターニ師なのである。ところがこのタガは、統一イラク連合の選挙公約と同じようにイスラム法という宗教的権威に基礎を置く大アヤトラなる権威に依存しているのだ。
 つまり今回の選挙で圧勝したシーア派もイスラム法の解釈をめぐって、言い換えれば教義と現実のギャップをめぐる理念派と世俗派の対立がいつ表面化しても不思議のない「不安定な多数派」なのであり、最高権威たるシスターニ師の決断次第では、暫定政府の設置と直接選挙の実施をめぐってアメリカ軍とシーア派の対立が激化した昨年4月のような反乱が、今度はおそらく占領軍の撤退時期をめぐって再現する可能性がある。しかも今後はアメリカの利害を反映する世俗派と「イラン寄り」の理念派の対立をもはらんで、さらに複雑な抗争として再現されるだろう。

▼クルド連合の世俗派的実態

 ではクルド連合の「実態以上の発言力」はどんな不安定要因として作用することになるのだろうか。
 今回の選挙で連合したクルド民主党(KDP)とクルド愛国同盟(PUK)はイラクにおけるクルド民族抵抗運動の二大勢力だが、湾岸戦争後にイラク北部に設定された飛行禁止区域の下で事実上のクルド自治区が形成されてからは、その支配権をめぐって武力衝突を含む抗争を繰り返してもきた。
 現にこの10年におよぶ二大勢力の自治区支配に対して、「しらけムードを持っている2〜3割が選挙に行っていない。両党が寡占してきた利益に対する反発が広がっている」(大西健丞=NPO法人ピースウィング・ジャパン統括責任者)との報告がある。さらにイラク北部の少数民族であるトルクメン人政党はクルド人による選挙妨害や不正投票を告発しており、3月6日には首都バグダッドで、同じような選挙妨害に会ったキリスト教政党と共に数百人規模のデモを行い選挙のやり直しを訴えてもいる。
 こうしたイラクのクルド人内部の対立や少数民族に対する抑圧的対応は、KDPとPUKの二大勢力が、武装抵抗闘争の必然としてクルド人部族を基盤とする「軍閥」と呼ぶべき性格を色濃く持っているからである。つまり議会の4分の1勢力となったクルド連合は、イラクのクルド人部族の利益を擁護する「一国的民族主義」の体現者なのであり、1920年のセーブル条約で一旦は約束されながら1924年のローザンヌ条約であっさりと反故にされた「クルディスタン国家建設」という、民族的悲願の体現者とは言い難い。
 クルド連合のこうした実態は、この勢力が理念派というよりは世俗派であることを裏付けるが、だがその分だけこの勢力はクルド人自身の民族的誇りや自立といった理念よりも現実的利害に追従する傾向が強い。事実イラクのクルド人勢力はトルコ、イラン、イラクという国家間抗争の中で敵国を撹乱する勢力として利用されてきた。フセイン政権の残虐性の証拠として宣伝された化学兵器によるクルド人大量虐殺事件(ハラブジャ事件)は、イラン・イラク戦争の最中にKDPとPUKがイラン政府の支援を受けて反乱を起こしたことに対するイラク軍の報復だったが、そのイランのイスラム政権は、78年のイスラム革命の際にクルド人の自治権要求を拒否し、現在もイランの「クルディスタン民主党(KDPI)」と戦闘をつづけている。
 ところでクルド人の多数派は宗派的にはスンニ派に属すが、フセイン政権下ではスンニ派アラブ人をクルド人居住地域に移住させ、クルド人を故郷から追い払うといった弾圧が繰り返されたこともあって、スンニ派同士ではあってもクルド人とアラブ人の民族的対立は深刻である。

 こうしたクルド連合の動向は、それ自身として「イラク分裂」の懸念を欧米社会と周辺諸国に与えずにはおかない。その最大の焦点がキルクークの民族的帰属に象徴されるイラク北部の石油利権の行方と、クルドの民兵組織「ペシュメルガ」の存続である。
 クルド連合は民族の大義を盾にキルクークの帰属と民兵組織の維持を要求しているが、もしこれが容認されるなら、イラク新憲法でクルド人自治権の保障が棚上げにされたにしても、事実上イラク北部3州にはクルド連合による排他的な支配権が確立されることになるだろう。なぜなら「ペシュメルガ」なる私兵を擁したクルド連合は、その軍事力で石油利権の実効支配を実現できる一方で、発足するイラク新政府は、当面は各地の部族社会に依存してしか全国的な施策を遂行できないからである。
 これがクルド連合の「実態以上の発言力」が持つ不安定要因である。しかも第1党の統一イラク連合も、大統領評議会の信任を含めて政府の実権を保つには議会の3分の1以上の支持を得る必要があり、4分の1勢力であるクルド連合は最も有力な連立政権の対象なのである。

▼拒否権を盾にしたスンニ派の模索

 最後は、スンニ派民衆の多くが選挙に参加できなかったことの影響である。
 投票日の1月30日当日、イラクの選管幹部は「午後2時現在の投票率は75%」と記者会見で発表したが、投票終了後の会見では「50%か60%だろう」と下方修正し、投票総数は800万程度との見解を示した。ところがこの幹部は投票率の下方修正の理由を聞かれた際に、「有権者数が確定していないから」と語ったのである。
 アメリカ式に有権者登録をしなければ投票できない選挙で有権者数が確定していないという事実は、もちろん選挙の正当性を著しく傷つけるものである。その意味で今回の選挙は、少なくとも反米武装抵抗闘争がつづいていたイラク中部においては「実施されなかった」と言って過言ではない。選挙の成功はただ、南部シーア派地域と北部クルド人地域における極めて高い投票率によってのみ実現されたのであり、その歪みはもちろんイラク新政府の行方を占う上で見落とすことのできない不安定要因となる。
 反米武装闘争の激戦地・ファルージャのあるアンバル州の2%に象徴されるいわゆるスンニ派地域の極端に低い投票率は、もちろんスンニ派有力政党「イラク・イスラム党」が選挙ボイコットを呼びかけ、人質救出交渉などで知られるスンニ派のイスラム法学者団体「イスラム宗教者委員会」がこれを支持したことが大きな要因である。結果として、スンニ派大部族の長にして暫定政府大統領ヤワルが率いた「イラキユーン・リスト(イラク人の名簿)」は、彼の部族を中心に1・8%を得票したに過ぎなかった。
 だがスンニ派勢力のこうした動向は、国民議会選挙という政治プロセスを頑なに拒否すると言うよりも、現実的な様々な可能性の模索とも言える。
 ひとつの例は、スンニ派による停戦提案である。投票日直前に明らかになった各種報道によれば、スンニ派武装組織の連合体「イスラム民族抵抗連合」は今年1月はじめ、米軍の3年以内の全面撤退や選挙の延期などを条件に米軍や警察への攻撃中止と国民議会選挙への参加を米軍に打診し、これが拒否されたことがあったと言う。この事実は、シーア派との比較では世俗派と言えるスンニ派勢力が戦後イラクの政治プロセスに参加する意志を持っていることを物語るだけでなく、それなりの政治的地位を確保すべく様々な駆け引きを今後も展開するであろうと推測させる有力な根拠である。
 たしかに選挙結果が明らかになった直後、イスラム宗教者委員会は「スンニ派ボイコットの中で強行された選挙は不当。それに基づく新政権に正統性はない」と強硬な主張を繰り返しはしたが、他方でSCIRIのハキーム師が「大統領と一部閣僚ポストはスンニ派に」と送った秋波に対して、あるいはヤワル大統領が「大統領はスンニ派、首相と副大統領はシーア派。もうひとつの副大統領と議長をクルドに」と言った提案をしたことのいついては言及さえしていない。
 しかもイラクの政情不安を早期に収拾したい欧米社会では、何らかの形でスンニ派勢力を新政府の枠内に取り込むことで、戦渦の中で強行された選挙結果の「歪みを是正」することが「イラクの安定」にとって有益だとする論調が幅を利かせている。
 つまり人口の20%を占めると言われるスンニ派の有力部族は、ボイコットを貫くことで選挙結果に対する事実上の拒否権を主張し、この拒否権を盾に選挙に参加したと同じ結果を手にしようとしている、と推測するのは的外れではないだろう。世俗派であり、だからまたフセイン政権の官僚機構の担い手を多く輩出してきたスンニ派部族の面目躍如と言った観さえある。

 だが仮にこうしたスンニ派勢力の戦略が功奏するなら、ブッシュ政権が強行したイラクの選挙は単なるセレモニーであったことが暴露されるだけである。
 選挙結果がどうあろうと、欧米社会の価値観によってシーア派、スンニ派、クルド人などに識別された宗派や民族の比率に応じて恣意的に行政権力が構成されるなら、個々人の自由な意志によって選出される政府という民主主義の理念を実現するための選挙は、イラクでは実施されなかったことが証明されるだけだからである。

▼占領軍撤退をめぐる緊張

 かくして、ブッシュ政権に「占領政策の正当性」を与えたかに見えたイラクの国民議会選挙は、「中東の民主化」という大義名分とはうらはらに、新たな困難をアメリカに突き付けることになる。
 ひとつは、すでにその権威を失いつつあるアメリカ的民主主義=民衆の自治権を奪い、一票投票という白紙委任を通じて権力を代行する形式民主主義=が、イラクの国民議会選挙の形骸化という現実によってアラブ世界で一層の権威の低下に直面し、石油利権をめぐる抗争が露骨な経済的利害の衝突として姿を現すだろうことである。
 イラクの経済と民衆生活を戦前水準にさえ回復できないまま強行された選挙は、結局は強権的権力の崩壊によって台頭した部族社会の「対立をはらんだ合従連衡」という現状を打開できないことを明らかにし、さらには選挙結果とは関係なく宗派や民族の比率にもとづく恣意的な政権ポストの配分は、選挙の正当性と信頼性を大いに傷つけるのは明白である。こうした脆弱な土台の上に立つイラク新政府が、部族や地域の分断を越えて「国民的信頼」を得る中央政府たりえないのは当然だし、だからまたアメリカと欧米社会が期待する調停者の役割を十分に果たすこともできないだろう。
 だがそうだとすれば、クルド人の項でもふれたように地域や部族ごとの石油利権をめぐる抗争は米英占領軍の軍事力でしか押さえ込むことができない状況が持続する。ということは、そこで生み出される不公平感や不満は新政府ではなく、米英占領軍に対する敵意となって増幅することになる。
 したがってふたつめは、占領軍の撤退を要求する国民議会の多数派と、社会的分裂をはらむ部族や地域間の利害衝突を押さえ込む軍事的必要という矛盾の深化である。
 これはブッシュ政権がアメリカ軍の撤退時期が見えずに戦争の「出口戦略」を描けないことを意味するが、国民議会多数派つまり統一イラク連合を構成するシーア派勢力、とりわけ理念派にとっては、イスラム法を源とした「撤退時期の明示」という選挙公約の成否を問われる重大問題である。
 前者のブッシュ戦略への影響については後述するが、占領軍の撤退時期の明示という公約の実現には、前述のようにイラク社会の深刻な内部対立がある以上、占領軍に代わる何らかの抑止力の構想が必要条件である。だが現実にはこの軍事的抑止力自身が部族や民族ごとに分断されており、イラク新政府が国民的調停者たり得ないとすれば、諸部族の私兵を「国民の軍隊」や「国民の警察」に再編することは不可能である。
 しかもスンニ派武装勢力が「3年以内」という条件で米軍と交渉をしたことが明らかな以上、より理念的なシーア派勢力がこれより長期の占領を受け入れることはほとんどありそうにない。つまり今後3年の内に、フセイン政権の強権でかろうじて維持されてきたイラクの「統一国家とその政府」がはたして再建されるか否かが占領軍撤退問題のカギを握るのだが、現状の地域的部族的分断という混沌の中にその主体的条件を見いだすことは残念ながら難しい。
 だがまさにこうして、「統一イラク」を維持する必要悪として占領軍を容認しようとする世俗派の「現実的選択」と、イスラム法にもとづいて占領軍を撤退させるジハード(聖戦)に訴えようとする理念派の政治的緊張が高まることになる。シスターニ師の決断次第で占領軍とシーア派勢力の武力衝突が再燃しかねない所以である。

▼アメリカに還流する混迷

 ではブッシュ政権がイラクの「出口戦略」を描けない問題はどうだろうか。実はこれがみっつめの問題、つまりアメリカ資本主義がイラクを震源とする中東全域の混乱と不安定化に引きずり込まれ、それが国内問題へと還流するだろうことである。
 ただしブッシュ政権の出口戦略は、米軍のイラク撤退を意味しない。世界最大の油田地帯であるペルシャ湾沿岸に米軍が常駐することは、アメリカの代理人だったイランのシャー政権がイスラム革命で打倒されて以来の最も重要な戦略的懸案だったからである。むしろブッシュ政権の出口戦略は、中東全域の「親米化」を意味する「民主化のドミノ」が進展していると主張できる状況、言い換えれば湾岸地域の混乱と緊張が持続する事態と言って過言ではない。この混乱と緊張の最大にして真の原因がイラク侵略と米軍の居座りにあってもである。
 だから問題は議会の多数派となった統一イラク連合の公約である撤兵要求をどう封殺するかであり、このためにブッシュはイランとの戦争を準備している可能性がある。それは言うまでもなくアメリカに支援されたフセイン政権が、イランのイスラム革命政権を破壊しようとしたイラン・イラク戦争の再現であり、同時に公然たる国家間戦争によってイラクとイランの両シーア派勢力を混乱のうちに分断し、占領軍の撤兵要求をなし崩しにする目論みでもある。
 現に二期目のブッシュ政権は、核開発疑惑を口実にイランに対する圧力を強めつづけており、新国務長官・ライスはイランへの軍事力行使の可能性を否定しない。さらにイラクの米軍基地からはイラン上空に無人偵察機を飛ばすといった軍事的挑発行為が続けられていおり、イラン軍の精鋭にして理念派でもある革命防衛隊がこの挑発にささやかな反撃を試みるだけで、ブッシュ政権には十分な開戦の口実となるだろう。
 もちろんブッシュ政権の目論みどおりに事が運ぶとは限らない。だがブッシュ在任中の「3年以内」が撤兵要求の期限だとすれば、これをめぐる世俗派と理念派の対立が深刻化して一部地域で武力衝突やテロが拡大するような事態になれば、対イラン戦争が発動される危険が一段と高まることになる。「イラクの混乱の背後にはイラン政府の関与がある」というキャンペーンの開始が、その合図となるだろう。

 だがアメリカにとって真に中東問題が深刻なのは新しい戦争ではない。公然たる戦争が回避されても、イラク国内やイランとの緊張がつづけば米軍は引きつづきイラクを占領できるし、中東民主化のドミノ戦略も維持できるからである。
 だがまさにこのドミノ戦略の継続がアメリカに強いることになる莫大なコスト、しかも世界経済に悪影響を及ぼすであろう原油価格の高騰や米軍戦死者の持続的増加を含むコスト負担が、中東問題をアメリカの内政問題に転化することになる。新しい戦争はただこのコストの増加を劇的に暴き出すだけである。そしていずれにしろドミノ戦略がもたらすコスト負担が明らかになる度合いに応じて、キリスト教右派の唱える「神聖なる使命」への疑惑が呼び起こされ「アメリカの分裂」が促進されるだろう。
 イラク占領軍の撤退期限として注目されるであろうこの「3年」は、イラクで占領軍の撤退を求める人々のみならず、イラク戦争に反対した世界のすべての人々にも新たな反戦運動の構想と準備を求める。

(3/20:さとう・ひでみ)


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