ODA利権とスハルトの退陣
経済危機の底流にある巨額円借款の圧力

(インターナショナルbX1 98年7−8月号掲載)


 5月21日、1966年の軍事クーデターてによって政権についたインドネシアのスハルト大統領は、学生を先頭にした反政府運動の高揚によって、ついに辞任に追い込まれた。後任の新大統領には、スハルト側近のひとりであるハビビ副大統領が就任、翌22日に、特に強い非難を浴びていたスハルト大統領の長女で社会相であったシティ・ハルディヤンティ・ルクマナ(通称・トゥトゥット)は更迭されたものの、スハルト時代の有力者を中心にした新内閣の名簿を発表した。これを受けて23日には、スハルトの辞任を要求して国会を占拠していた学生たちが、大統領辞任の要求は実現したとの軍の説得に応じて退去したことで、暴動と略奪をともなった激しい反スハルト運動は一応の終息にむかった。

KKN体質への不満

 スハルトを退陣に追い込んだ今回の反政府運動は、昨年以来のアジア通貨の暴落と混乱の引き金となったインドネシアの経済危機に対して、IMF(国際通貨基金)が資金援助と引き換えにインドネシア政府に求めた「緊縮経済計画」が、庶民の生活を直撃する形で実施されはじめたことへの不満の爆発が契機となってはじまった。ガソリンをはじめとする様々な生活必需品に対する補助金を大幅にカットする緊縮経済計画の実施は、庶民による非難の矛先をIMFに向けようとするスハルト政権の意図に反して、政治利権で肥え太りつづけるスハルト一族への不満、つまりスハルト政権の「KKN体質」批判として噴出した。
 KKNはインドネシア語で汚職(korupusi)、癒着(kolusi)、縁故主義(nepotisme)を意味するが、スハルト政権に対する非難の中でもこの「KKN追放」のスローガンは最も解りやすい非難だっただけでなく、大衆の不満を的確に表現するものだったと言える。そしてこのKKN体質を象徴したのが、スハルト大統領の長女で前社会相・トゥトゥットだったのである。彼女は、日本のODA(政府開発援助)で建設されたジャカルタ市内の有料高速道路を管理する民間営利会社の大株主で、これによって巨額の蓄財をしてきたと考えられていたからであり、国家財政や海外援助資金を食い物にしてインドネシア経済の危機を招いた、「大統領の子どもたち」の代表的人物と見なされていたのである。
 現実に、巨額の利権とこれをめぐる汚職、癒着、縁故主義、あるいはスハルト一族による蓄財と言った政治腐敗は、自らを「開発の父」と称した32年に及ぶスハルト政権下で、インドネシア経済の高成長を牽引した開発政策と表裏をなす暗部であった。と同時にこうした長年の開発政策のツケが、インドネシア経済危機の底流に横たわっている。

開発独裁と政府開発援助

 スハルトの開発政策とは、OECD諸国による開発援助などをテコに、企業誘致や外資導入を含む巨額の投資を継続して経済を刺激しつづけるという、経済的には単純な手法なのだが、この独裁権力主導の投資は、これに関与できれば莫大な利益を手にできる一大ビジネスチャンスになることから、ありとあらゆる起業家や資本家が、この利益にありつくために政権に取り入ろうとする。だからスハルトの一族を含めて、政権との特殊な癒着関係が莫大な蓄財と直結するのは、その意味では当然なのである。だが実はこうした癒着関係は、インドネシア国内にとどまらずODAの供与国、インドネシアの場合にはその40〜50%を占める日本政府関係者たちと、これに連なる日本企業にも巨額のリベートと利益をもたらしてきたのである。
 日本の、対インドネシアODAの96年度までの累計供与額は、有償資金協力2兆9千8百65億円、無償資金協力と技術協力が3千4百37億円の合計3兆3千3百2億円で、第2位の対中国累計額2兆3百83億円を1兆3千億円も引き離して断トツの1位だが(97年版「ODA白書」)、その大半が70年代、つまりスハルトが政権を掌握して開発政策を強力に推進している時期に供与されてきた。この間インドネシアは、日本ODAの最大の受け入れ国でありつづけていたし、近年では87年から96年まで、つまり日本のバブル景気を背景にした海外投資が活発化し、東南アジア経済が急速に成長する時期にも、インドネシアは日本ODAの最大の受け入れ国であった。74年1月、当時の田中首相の訪問に際して発生したジャカルタの反日暴動は、こうしたODAによるインフラ整備事業と平行して展開された集中豪雨的な企業進出に対する反感の爆発であり、同時にこれと癒着して甘い汁を吸うスハルト大統領側近たちへの反発であったと言われる。
 つまり日本政府は、開発政策を掲げ、経済的繁栄のためと称してあらゆる批判と抵抗を強権で抑圧し、「開発の父」を自称するスハルトをその発足当初から最もよく支えてきたのであり、74年の暴動がそうした日本と日本企業に対する反感の最初の爆発だったとすれば、今回の暴動や略奪の背後にも、日本企業への反感、つまり反日感情が潜んでいたことを否定する理由はない。
 と同時に、有償資金協力つまり円借款という名の「貸し付け」が89・6%も占める開発援助は、実を言えばインドネシア民衆の日本に対する借金に他ならないのであって、電力開発というダム建設、高速道路建設など、企業誘致に欠かせないインフラ整備事業自体が、日本からの借金によって、日本企業によって請け負われ、日本企業に莫大な利益をもたらしつづけてもきた。海外進出している建設会社でつくる海外建設協会加盟56社のうち、インドネシアに拠点をもつのは半数以上の29社に上るが、これこそ開発独裁・スハルトを支え、その政権と癒着して円借款による巨大プロジェクトを持ちかけ、スハルトは民衆から土地を取り上げ、日本企業が工事を請け負い、それによって互いに巨利をむさぼり、そのツケはインドネシア民衆に借金として押しつける、日本帝国主義の実態の象徴と言うことができるだろう。そしてこの巨額の借款は、インドネシアの経済的危機を促進する圧力として作用しつづけるのである。
 不良債権処理に呻吟する日本の金融機関は、インドネシアの経済危機とスハルト政権の崩壊に対応して、インドネシア向け債権の貸し倒れ引き当て金をさらに積みます必要に迫られることになるだろうが、それは結局はめぐりめぐって回ってきたツケ、身から出た錆と言うものであろう。

  (いけやま・なおみ)


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