労組選手会のストライキはなぜ圧倒的に支持されたか

―「私企業の利害」と「労働の社会的価値」―

(インターナショナル第148号:2004年9月号掲載)


▼労組選手会の勝利的決着

 労働組合日本プロ野球選手会(以下:労組選手会)と日本プロ野球機構(NPB)の協議・交渉委員会(=団体交渉)は9月23日、来期(05年度)は新規参入球団を含めてセ・パ12球団とし、今後も両者でドラフト改革や年俸減額制限の緩和などで話し合いをつづけることで妥結、合意文書を交換した。
 これによって、6月13日にオリックスと近鉄両球団の合併交渉が明らかになったことではじまった103日におよんだ労使紛争は一応の決着を見、日本プロ野球史上はじめてのストライキが決行された9月18−19日の両日につづき、25−26日にも予定されていた労組選手会のストは中止された。

 23日の合意では、労組選手会が要求してきた「球団合併の1年間凍結」はついに達成されず、パリーグ最古の人気チーム・近鉄バファローズは55年の歴史に幕を閉じることになった。とは言え、パリーグ2球団の合併を契機に「1リーグ8球団」への再編を強行しようとしたプロ野球機構=正確には一部球団経営陣【本紙前号「旧いボスと結託した時代の寵児たち」を参照】の身勝手な企みを頓挫させ、連鎖的な球団の消滅つまり会社と職場が次々と無くなって選手と球団職員の大量解雇につながるプロ野球の縮小再編の目論みを押し返し、少なくとも来期の球団削減に一程の歯止めをかけ、閉ざされようとしていた新規球団参入の道を改めて開かせたという意味では、この合意は労組選手会側の勝利的決着であったと言える。
 さらに一部球団オーナーによる密室談合が球界の将来を決めてしまうような旧態依然たる業界体質を暴き、これに反感を抱く野球ファンの圧倒的な大衆的支持の後押しを受けて業界ボスの裏工作を封じ込んで合意を現実したことは、低迷をつづける日本の労働組合運動にとっても久々の快挙と言って良いかもしれない。
 だがそうだとすれば、労組選手会はなぜここまで闘いえたのだろうか? なぜこれほど多くの大衆的支持を得ることができたのだろうか? それを考えてみたい。

▼球団経営陣への大衆的反感

 労組選手会のストが2日目に突入した9月19日、試合が中止された各地のスタジアムでは選手たちが自主的にサイン会やファンとの交流会を開催したが、これに駆けつけてスト決行中の選手を激励した野球ファンの数は、おそらくマスコミや球団経営陣の予想をはるかに越えるものであった。
 労組選手会のスト決行とこれを支持して球場に集まった数万ものファンの存在は、選手やファンの反感など高をくくっていた球団経営陣には大きな衝撃だったに違いない。しかもあらゆるマスメディアの世論調査や視聴者電話投票などは圧倒的に労組選手会のストを支持し、NHKの世論調査(21日)では、25−26日に予定されていた2回目のストについても78%もの人々が支持すると答え、スト回避のためには「球団側が譲歩すべき」との声も日毎に高まるばかりであった。
 こうした大衆的な労組選手会への支持と球団経営陣に対する強い反感は、もちろん第一義的には球団オーナーらの密室談合や身勝手に対するものだった。
 たしかに球団経営陣の対応は、選手やファン、言い換えれば「プロの技を観客に見せる労働者」と「お金を払ってそれを観戦に訪れるお客様」を見下し、だからまた選手やファンの異議申し立てにもまったく耳を貸すことなく、果ては団体交渉(特別委員会)を拒みつづけて「不当労働行為の疑い」を東京高裁に警告されてなお「選手会が労働組合であることに疑義がある」と公言する球団経営陣は、旧態依然という以上に非常識とさえ言えるものであった。
 それは結局、プロ野球球団をオーナー企業の広告塔として「私物化」し、プロ野球を興業つまり商売としては決して真剣には考えてこなかった企業社会・日本ならではのプロ野球の構造的欠陥、要するに球界の旧い体質の露呈であった【本紙123号「イチロー人気とプロ野球人気の凋落」参照】
 だが球団経営者がいかにひどい連中であったにしろ、労組選手会が人々の共感を得なければ、「野球観戦が大好き」なファンたちがこれほど圧倒的にストを支持することはなかっただろう。
 現にアメリカ大リーグでは、年俸に上限を設けようとした球団側提案に反対する選手会のストは、経営者と選手会双方の利己主義ばかりが目につき、ベースボール人気の凋落を招いたと言われた。日本人大リーガーの草分けとなった野茂英雄投手がロサンゼルス・ドジャースに移籍し、独特の投球フォームで人気を博して「大リーグの救世主」と言われたのは、この大リーグ選手会の7カ月にもおよぶストが実りのないまま終焉し、4月下旬にようやく開幕した1995年のシリーズだったのはよく知られている。
 だが今回の労組選手会のストは、明らかにこの大リーグストとは違っていた。球団経営陣の利己主義は誰の目にも明らかだったが、選手会の要求は利己主義を超える社会性をはらんでいたからである。

▼社会的価値、自発性、情報公開

 「球団合併の凍結」という労組選手会の要求は、もちろん自分たちの雇用確保を主眼としたものであった。
 だが労組選手会は同時に、球団経営を悩ませるプロ野球業界の構造的問題の積極的改革を唱え、「両リーグ交流戦」や「新規参入規制の緩和」など球団と選手そして野球ファンが「共存共栄」できる対案を提起し、必要とあれば高額年俸選手に限定してではあれ自らの年俸減額制限の緩和を示唆し、球団経営という「私的企業の利害」に対してプロ野球という「社会的価値の防衛」を対置して対抗したと言える。
 そして決定的だったのは、労組員である個々の選手たち自らがファンの前に出てこうした「対案」を直接訴え、球団合併の凍結を求める署名活動を展開したことである。それは球団オーナーたちの密室談合や赤字の詳細を公表しない身勝手とは対極の、いま流に言えば情報公開や説明責任を自発的にしかも積極的に、労組選手会として実行したということを意味していた。
 つまり球団経営陣と労組選手会の相違を際立たせ、ファンが選手会の闘いを圧倒的に支持して球団経営陣への反感を強め、ついには球団側に譲歩を迫ることになった対決の構図は、「私企業の利害か、それとも社会的価値の防衛か」、「ボス支配の容認か、それとも自立的個人(選手)の働く権利か」、「密室の談合か、それとも情報公開か」、「経理を公表しない身勝手経営か、それとも説明責任を果たしたストか」等々の選択としてファンの前に現れることになったのだ。
 そのうえ経営陣の対応を特徴づけた業界利権やボス支配、密室談合や経理の非公開性などは、90年代以降の日本の経済的停滞を招いた「負の要素」として繰り返し指摘された諸悪の象徴であり、労組選手会の要求と実践を特徴づけた社会的価値、個人の自発性、情報公開、説明責任等々は、そうした停滞を打開する必要条件として推奨されてきた社会的課題に他ならなかった。
 結局こうした「対決の構図」が、労組選手会によるプロ野球史上初のストライキを人々が圧倒的に支持し、球団経営陣を追い込んだと言えるのである。

 この労組選手会と比較したとき、日本の労働組合が企業社会に閉じこもり、「労働の社会的価値」を公然と人々に語ることもなく、今なお経営側との密室談合に囚われている旧態依然ぶりが浮き彫りになる。そしてまさにその結果として、今ではストライキは問題にもされず、組合員の解雇にさえ抵抗できないまでに低迷している。
 ではいったいなぜ、労組選手会はこうした実践をなし得たのだろうか。

▼アメリカ基準としての労組選手会

 それまで「親睦団体」に過ぎなかったプロ野球選手会が、労働組合として最初の大会を開いたのは86年1月9日である。前年の85年11月に東京地方労働委員会(東京地労委)が、プロ野球選手会を労働組合と認定したのを受けてのことだった。
 当時はまさに「金ピカの80年代」真っ只中で、85年8月の日航ジャンボ機墜落事故の衝撃も薄らぎはじめ、選手会が労組資格を取得した11月はむしろ「巨人の桑田」と「西武の清原」誕生が話題の中心だった。
 だが労働組合という「業界」は、少しばかり事情が違っていた。労組幹部や活動家の最大の関心事は労働戦線の再編問題、つまり基幹産業である自動車や電機など民間大手企業労組が中心となって総評に代わる新たなナショナルセンターをめざす「右翼再編」問題であった。現に選手会が労組と認定された翌日の11月15日には、再編を主導する全日本民間労組協議会(全民労協)が2年後の連合体移行を決定するなど、労戦再編の動きは緊迫の度を増していた。
 この労戦再編の流れは、結局バブルに向かう空前の好景気を背景に89年11月の日本労働組合総連合会(連合)の結成と総評の解散に至るのだが、この過程では「社会性の弱い企業内労組」という日本特有の問題点や、個々の労働者の権利を労組組織の既得権益に従属させる「集団主義」など様々な労組の問題点が指摘され議論もされた。
 だが基幹産業の国際化や国際競争力、今で言えば「グローバルスタンダード」に対応する労働組合側の国際化という問題で、十分に自覚された議論があったとは言えなかった。ILO(国際労働機構)条約に示された国際的労働基準と日本国内の労働基準のギャップ、とりわけ女性労働者への差別待遇や大企業と中小零細企業の二重構造の問題は、少なくとも連合の結成を急ぐ企業内労組ではほとんど問題にもされなかったし、分割民営化されたJRという企業の枠を越えた抵抗として始まった国鉄闘争でさえ、国労がILO提訴に踏み切るまでに多くの抵抗があった事実がその無自覚さを象徴している。
 だがプロ野球選手会の労働組合資格の承認は、アメリカ大リーグの選手会が労働組合として認められていることを根拠にしていたという意味で、当時は最も先端的なグローバルスタンダードもしくは「アメリカンスタンダードの労組版」が、日本に上陸したことを意味していた。
 今でこそ「選手会が労組であることに疑義がある」などと言うのは裁判所から見てさえ非常識だが、当時は球団経営陣だけでなく野球ファンも、そして左派を自認する労組活動家も、労組版アメリカンスタンダードの上陸に気づいていた訳ではない。

▼自立的労働者と個人加盟労組

 もちろん、労組版アメリカンスタンダードが進歩的で歓迎すべき基準だと言いたい訳ではない。
 現実に、連合に収斂された日本の労働組合が、企業内労使の協調を基礎とする「日本的経営」で世界を席巻しつつあった多国籍資本の戦略的パートナーであったにせよ、当時アメリカの労働組合もまたレーガノミックスなる構造改革の攻勢で歴史的後退を余儀なくされ、中産階級と呼ばれるホワイトカラー労働者が次々と解雇されるダウンサイジング(=減量経営)の猛威を前にしては、個人加盟の産別組織と言えども、労組組織の権益防衛という利己主義ではこれに抗し得ないことが明らかだったからである。
 にもかかわらず、労働組合結成の厳しい制約=職場の過半数が一票投票によって労組結成に賛成する必要など=を乗り越え、だから「労働者個々人の決断」という試練が労働組合の組織的基礎となる労組版アメリカンスタンダードは、当時の日本では目新しい特徴であったし、総評の解体と地区労の相つぐ解散に抗して、左派労働運動が個人加盟を基礎にしたゼネラルユニオン(一般労組)を提唱したのも、企業間競争に巻き込まれて労働者間の連帯を切り捨てる企業内労組(=ハウスユニオン)の弱点を克服し、巨大な企業内労組の連合体に過ぎない自動車総連や電機労連のヘゲモニーに抗して、公務員や大企業労働者と中小企業労働者を分断する二重構造に立ち向かおうとしたからだった。
 たしかに個人加盟労組の試みは、海員組合など伝統的な個人加盟労組を別にすれば中小労働運動の一部以外では実践されなかっただけでなく、「自立した個人としての労働者」を基礎とする組織化がダイナミックに拡大することもなかった。だが企業社会を基盤とした日本的労使協調が労働者の権利の一方的な縮小と労働条件の劣悪化を招き、あるいは差別待遇を野放しにする派遣、請け負い、パートなどの非正規雇用の蔓延を許し、国際自由労連(ICFTU)が主張する国際的労働基準の達成にさえ努めようとはしない現実は、改めて「労働者個々人の決断」という労働組合の組織的基礎の重要さを再確認させる状況であるには違いない。
 だとすれば労組選手会が、球団経営陣による甘言や脅しを含めた揺さぶりに抗して公然たる署名活動を展開しストを決行した団結力や、自らファンの前に立って闘いの意義を訴える労組員(選手)の自立性は、企業社会に寄りかかる企業内労組とは比較にならない力を発揮したとは言えないだろうか。

▼社会的闘いと労働の社会的価値

 ところで労組選手会の球団経営陣に対するもうひとつの優位性は、赤字経営という私企業の利害に対して、プロ野球という「社会的価値」の防衛を対置し、それによってファンと一体となった「社会的闘い」を展開できたことであった。
 こうした「社会的闘い」で思い起こしたのは1995年、東京にあるブリジストン本社への抗議のためにブリジストン・ファイアストン(BSFS)労組の代表団が来日し、国労闘争団や全労協とともに、背景資本であるブリジストンに大量解雇の撤回を要求した「コーポレートキャンペーン」である。
 コポレートキャンペーンとは、「争議対象になった企業の構造を徹底底に調べ上げ、親会社から子会社、背後の金融資本全体の中でどこに最弱の環があるかを見つけだし、そこに社会的闘いを集中させる」【本紙64号:95年9月発行「ブリジストンは解雇を撤回せよ」より】争議戦術であり、レーガノミックスの攻勢で後退を余儀なくされたAFL-CIOでイニシアチブを握った改革派が、反撃に転じる過程で積極的に行使していた。
 もちろん労組選手会の闘いとこの戦術を単純に比較はできないとしても、彼らが球団経営の「古い体質」という「弱点」を的確に捉え、野球ファンの期待も強かった両リーグ交流試合やドラフト改革を提唱し、これを検討しようともしない球団にファンと一体となった「社会的闘い」を挑んだのは、やはり注目に値する。そこには労働組合としての社会的役割の自覚とそれを支える組合員個々人の社会的労働についての自覚、いや誇りと呼ぶ方がふさわしい「強い思い」があっただろうからである。
 つまり労働者と労働組合が「社会的闘い」を実践するためには、自らが自分の労働の社会的価値を自覚した誇りを持つ必要があるだろうことである。労組選手会の場合は、野球観戦というサービス提供の中でプロの技を存分に披露し観客を満足させる「労働」に対する誇りだろうが、現在の日本では利己的な物的欲望の追求を奨励するマネタリズムの扇動が、労働の社会的価値や労働者の誇りを後景に追いやっている。
 いやもっと言えば、日本の企業社会と企業内労組は、たとえそれが社会的には犯罪であろうと私企業の利害を擁護する労働者を評価する「滅私奉公」のムラ社会にどっぷりと浸かり、労働の社会的価値ではなく「一流企業の従業員であることの価値」を重視する、国際的には非常識な世界に閉じこもりつづけてきたのである。そしてこれこそが労組選手会の闘いによって暴かれた、「球界の古い体質」と同根の「日本的経営」なるものの正体と言えるだろう。
 だが三菱自動車の欠陥隠し事件が象徴するように、グローバリゼーションの時代にそんな経営手法と労使関係が生き残れるはずもない。それは今や、グローバリゼーションの力によって解体されようとしている。労組選手会の史上初のストライキ闘争は、こうしたより根本的な日本社会の課題を明らかにした闘いでもあったと思うのだ。

(9/30:とりて・ひさし)


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