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このメールマガジンは、時代の性格とわたしたちに何が問われているかを
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【月刊ニュースレター】          イ ン タ ー ナ シ ョ ナ ル   
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 創刊準備号―@                   2002年3月15日発行
 発行所:MELT
     URL;http://www5.justnet.ne.jp/~tor-ks
     email; tor-ks@ma5.justnet.ne.jp
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わたしたちはいま、大きな時代の転換点に生きているのではないでしょうか?
だから今とは、人間の自立と自律や民衆の自治という新しい民主主義のあり方と、
旧い代行民主主義の葛藤の時代でもあるのでしょう。 
次々と起きるいろいろな事件や社会現象の分析をとおして、そんな問題を考え
てみたい人たちのためのメールマガジンです。

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今号の内容

1:「私たちの時代を考える(日本)」小泉改革の挫折で激化する大量倒産・                  大量失業の攻撃
2:「国鉄闘争」国労中央委が査問委設置を決定闘争団
        遺族が鉄建公団を提訴
3:【時評】[市場の正義]エンロンの倒産
4:「私たちの時代を考える(世界)」パレスチナ解放闘争と兵役拒否運動

―――――――――――――――――――――――――――――――――――
【1つ目の論文】
    小泉改革の挫折で激化する大量倒産・大量失業の攻撃
      ー労働組合による生存権防衛の共同行動ー

        ●外相更迭劇と支持率の急落

 1月29日夜、アフガン復興会議からNGO(非政府組織)を排除した問題で、鈴木宗男衆院議員運営委員長が外務省に不当な圧力を加えたことを暴露した田中真紀子外相が、首相官邸前で「首相自らが(私の)更迭と申されました」と語ったとき、回りを取りまく記者団からはどよめきがおきた。
 この問題での田中外相更迭はそれほど衝撃的であったが、それは自民党を変えると豪語してきた小泉政権の政治決着としては、あまりにもお粗末にすぎた。
 だから外相更迭「事件」を機に、これまでは小泉政権の高支持率に怖じけづき、明快な小泉路線の批判を控えていたと思われる新聞各社やテレビ各局は、いっせいに「真紀子は悪くない」(『AERA』2/11)といった小泉批判を展開しはじめ、直後の週末(2月2・3日)には各社がこぞって電話などによる緊急世論調査を実施したのである。
 周知のとおり、この世論調査の結果は小泉政権支持率の急落だった。朝日新聞社は「事件」直前の1月25・26日にも世論調査をおこなっていたが、その時の支持率は72%で昨年12月の調査とほぼ同じだったのが、2月2・3両日の調査では49%に急落、読売新聞の調査では昨年末の78%から47%に、毎日新聞では77%から53%に、日経新聞では昨年11月の78%から55%へと、軒並み23から31ポイントという急落ぶりであった。
 われわれは、こんなお粗末なドタバタ劇による支持率の急落までは予測しなかったが、小泉政権発足当初から、改革への大衆的期待は幻想に終わるだろうと指摘してきたし、田中更迭による支持率の急落は小泉人気の、ひいては小泉改革の転換点である。
 したがって階級的労働者は、小泉人気の急落によって予測される経済的政治的混迷と、これを基盤に現れるであろう混沌たる政治再編を見すえて、情勢に効果的に対抗すべく備えなければならないだろう。

        ●小泉改革のお寒い実態

 われわれが昨年4月、小泉改革への期待が幻想に終わるだろうと主張した理由は、なによりも小泉が、いわゆる構造改革を推進する物質的基盤を持ち得ていないだけでなく、その基盤を組織するには不可欠である戦略的展望や将来的ビジョンをまったく提起してはいないことにあった。
 というのも、グローバリゼーションの圧力によって強制される日本資本主義の国家社会再編は、第二次大戦後の世界資本主義の再生と繁栄を可能にしたシステム、つまり大量生産・大量消費・大量廃棄の経済的好循環が過剰生産(今流に言い換えれば過剰設備・過剰債務と需要不足)の壁に突き当たり、資本の利潤率が急速に低下したことでもたらされている以上、日本の政治と経済の構造的再編は、それなりに中長期的な展望に基づくことなしには困難だからである。
 しかも、すでに70年代後半に過剰生産に直面したヨーロッパとアメリカが、金融とサービスの自由化、つまり大量生産と販売量の拡大から、最新技術と新ビジネスモデルへの先行投資とセットになった金融投機、さらに国際的経済格差を利用した物流などで高い利潤率を確保する産業構造への転換をすすめたのに対して、80年代好況とその後のバブル景気に酔いしれていた日本資本主義は、こうした転換に大きく立ち遅れてもしまった。
 その意味で日本資本主義は今日、過剰債務の重圧にあえぐ日本的な大量生産・大量消費システムを解体的に再編し、かつ多国籍資本が激しく競い合う金融・サービス分野にかなり遅れて参入するという、二重の再編と転換に直面しているのである。
 これがグローバリゼーションが強制する構造改革であるなら、資本主義・日本の対応策は、国際競争力で相対的に劣る産業分野を強引に切り捨て、そこにある資本と労働を相対的優位な競争力をもつ産業分野により多く、かつ速やかに移動するための一貫した誘導政策であろう。それは大量生産・大量消費の経済を育成してきたこれまでの税制や財政金融政策を全面的に再検討し、新産業分野の育成を促進するように系統的に再構築することである。つまり小泉政権が「改革」として示すべき内容は、どの産業分野が切り捨ての対象となり、そこで生じる倒産や失業という「痛み」はどの程度なのか、また資本と労働を集中する産業分野はどこで成長率はどの程度か、だから雇用や税収の増加がどの程度見込めるか等々の見通しであり、それを実現するための諸政策なのである。
 ところがである。小泉の打ち出した「骨太の方針」や「経済白書」(平成13年度年次経済財政報告)に示された改革プランは、不良債権処理と特殊法人の統廃合を柱に、せいぜい都市再開発促進で地価バブルの再来を刺激する程度の、ありきたりで抽象的なものだったのである。しかも不良債権処理は、長期不況による増加の問題はあるにしろ、基本的にはバブル景気破綻のツケの清算であって、構造改革の前提条件ではあってもそれ自身は改革でもなんでもない。
 これでは、戦後保守政治の歴史的蓄積の上に立って、大量生産・大量消費の経済に対応して構築された政治支配システムをより小さな痛みで暫進的に転換しようとする保守実権派の路線、言い換えれば橋本政権で頓挫した行財政改革路線のドラスティックな転換とは言い難いのは明らかである。
 政権発足後10ケ月をへて、こうした小泉改革の実態が、田中外相更迭という
「事件」を契機に、いまようやく公然と語られはじめたのである。

          ●小泉の陥る悪循環

 では今後、小泉政権とその改革路線はどのような運命をたどるだろうか。
 小泉政権の歴代自民党政権との最大の違いは、自民党内の基盤が極めて脆弱にもかかわらず、高支持率を支えにして自民党の保守実権派の意向を斟酌せずに自らの掲げた政策を推進することにあった。
 これまでの自民党政治は、党の各部会が政府提出法案を事前に検討して修正し、後は多数を占める国会で形式的審議を行って法案を成立させるものであった。そこではいかなる改革であれ、自民党の利益誘導システムに打撃を与える条項は事前に排除され骨抜きにされるのだが、この法案修正に威力を発揮するのがいわゆる族議員とその意向を汲んだ中央省庁の高級官僚であり、両者の合意は当然ながら密室でおこなわれてきた。
 小泉に対する大衆的期待は、この政治家と官僚の癒着構造を解体し、国家官僚機構と族議員たちの利権と化した公共事業や諸政策の決定システムの転換であった。ハンセン病訴訟の国側控訴断念という小泉の決断や、外務省官僚たちと公然とわたりあう田中外相を圧倒的に支持した世論は、こうした大衆的期待の証拠なのである。
 しかし外相更迭による支持率の急落は、自民党各部会の事前審査や抵抗を封じる小泉の手法の最大の支えを奪うことになる。だから小泉が自ら掲げた改革を実現するには、高支持率に代わる政権基盤を求めざるをえないのだが、小泉は自民党内に強い基盤をもたず、だからまた過去のしがらみに囚われない改革が可能だろうと期待されてきたのだ。
 こうして小泉は、自己の政策を進めたければ自民党内に基盤を求めざるをえず、それなしには改革もすすまないというジレンマに陥ることになる。
 もっとも前述した程度の政策を改革と喧伝し、「抵抗派もやがて改革に協力するでしょう」と能天気に言い放つ小泉のことだから、保守実権派を基盤にした改革も可能だと思っているのかもしれない。
 だがこれは、小泉政権の悪循環の始まりである。保守実権派に依拠する改革が大衆的不評に直面するのは明らかであり、それが支持率をさらに低下させ、この支持率の低下が小泉の保守実権派への依存をさらに強めるという悪循環が始まるのである。

          ●改革の混乱と政治再編の胎動

 ところで、前述した「最新技術と新ビジネスモデルへの先行投資とセットになった金融投機、さらに国際的経済格差を利用した物流などで高い利潤率を確保する産業構造」への転換は、日本が国際資本主義体制の一翼を担うかぎり不可避である。より高い利潤率を確保できる産業構造への転換は、小泉政権と保守実権派の混迷にもかかわらず、グローバリゼーションの圧力のもとで否応なく進展せざるをえないのである。
 戦後日本の経済成長を牽引してきた基幹産業部門でさえ、生産拠点の大規模な海外移転や人員削減に踏み切り、あるいは欧米資本との提携や合併すらが常態化しつつあることにそれは端的に示されている。問題は、こうした社会再編の加速する進展に対応する国家再編、つまり行財政や金融の再編と転換が、生活保守と分かち難く結びつき集積された権益という、戦後保守政治の歴史的基盤と激しく衝突し遅々として進まない、もしくは進められないことにある。小泉政権は、こうした歴史的基盤とは無縁で、過去のしがらみに囚われずに再編の大ナタをふるえるのではないかとの期待を担っているというかぎりで、繰り返し頓挫した国家社会再編を強引にすすめる「切り札」でもあった。
 つまり小泉改革の挫折は、新たな「改革勢力」の準備を保守実権派に突きつける。言い換えれば「日本発の国際金融危機」を回避しつつ国家再編を加速し、新たな資本主義的発展を切り開くような改革路線を推進できる政治勢力は、未成熟ではあれそれなりに戦略的に準備された勢力として見いだしうるのか、ということである。
 むしろ予測される事態は、こうした政治勢力を見いだせないことによって、日本資本主義は一層の経済的低迷に悩み、社会的閉塞状況が持続し、深く広範な政治的混迷が進行して、いわゆる「ガラガラポン」の政治再編の圧力がじりじりと高まりつづけるということではないだろうか。だとすれば日本資本主義は、さらに数年におよぶ経済的低迷とグローバリゼーションの圧力での下で、無秩序な社会的再編と国家再編がある種の痙攣的危機をともなって進行する、混乱した一時期に直面することにはならないだろうか。

          ●生存権防衛の共同行動

 だが階級的労働者にとってもうひとつ明白なことは、この日本資本主義の混迷に抗する準備された労働運動も、だからまた政治勢力も不在だという主体的現実である。
 この主体的現実は、戦後日本の労働組合の圧倒的多数を占めてきた企業内労組が、グローバリゼーションの圧力のもとで促進された雇用形態や労働形態の急速な変化に対応できず、それこそ左派であると右派であるとを問わずに破産しつつある、その意味で日本労働運動の歴史的な衰退に根拠がある。闘争団を切り捨てて企業内労組に先祖返りした国労多数派の堕落も、基幹産業の企業内労組を基盤とするJC派イニシアチブが衰退して連合内の路線的分岐が顕在化しはじめているのも、企業内労組の左右両派を貫く破産の表現にほかならない。
 しかも圧倒的に男性である企業内正規雇用労働者を基盤とする企業内労組は、企業利害と一体化した労組機構の防衛のために、非正規雇用労働者や被解雇者に敵対するなど反動的役割を果たす可能性すらあることは、堕落した国労多数派の現実が示している。いわゆる「ガラガラポン」の政治再編という、保守派対改革派や左派対右派といった旧来的な構図の延長では予測できない根深い再編の圧力は、この労働戦線総体を貫く戦略的混迷の反映なのである。
 したがって階級的労働者は、経済と政治の混乱のうちに拡大し激化するであろう倒産や失業という労働者階級への攻撃に抗して、労働者が「健康で文化的な生活をする権利」の防衛のために、労働者のもっとも広範は統一戦線、つまり企業内労組の限界を克服しようとするあらゆる大衆的労働組合を基盤に、もっとも広範な共同行動のために闘う必要に迫られていると言えよう。
 もちろん社会的生存権はブルジョア民主主義的権利だが、それは戦後資本主義が大衆的レベルで常識化した進歩的権利であり、むしろグローバリゼーションの下で自助努力を口実に否定されようとさえしている。つまり社会的生存権をめぐる攻防は、グローバリゼーションを支持する国際ブルジョアジーと、これの民主的規制を要求する国際労働運動の対決の焦点でもあるのだ。

                 *

 小泉改革の挫折後、日本の労働者大衆は、80年代にアメリカ労働者が経験した「ダウンサイジング」に匹敵するような困難な一時期に直面するかもしれない。だがその「痛み」に耐えてなお、90年代アメリカのような繁栄が保障されるわけでもない。アメリカの好況を支えたITバブルは、9月のテロ事件以前に崩壊しつつあったのだ。
 だから階級的労働者は、この厳しい現実を直視し、日本労働運動の根本的再編と生存権の防衛のために闘うのである。
                          (きうち・たかし)

―――――――――――――――――――――――――――――――――――【2つ目の論文】
           国労中央委が査問委設置を決定
           闘争団・遺族が鉄建公団を提訴
       ―右翼分裂組合の道か、闘争団共闘会議の道か―


            ●鉄建公団訴訟と査問委

 国鉄労働組合(国労)は2月3日、東京の本部ビル(交通ビル)で第172回拡大中央委員会を開催し、闘争団員と遺族283名が鉄道建設公団(鉄建公団)を相手に提訴したことを「分裂行動」と非難、統制処分のための査問委員会の設置を賛成多数で決定した。
 査問の対象とされた訴訟は、1990年4月に1047名の闘争団員を一方的に解雇した国鉄清算事業団の継承法人である鉄建公団を相手に、1)鉄建公団との雇用関係確認、2)解雇以降の未払い賃金の支払いと、不当労働行為に対する慰謝料1000万円の各原告への支払いなどを請求して提訴したものである。
 闘う闘争団を中心としたこの提訴は、国労本部が4党合意にもとづく解決案提示の条件として行政訴訟の取り下げを要求する自民党の圧力に屈し、不当労働行為責任を追及する裁判闘争の幕引を画策する事態に抗して、あくまでも政府・JRの責任を追及するために起こされたものである。
 それは2000年末に相次いで出された東京高裁の採用差別事件に対する不当判決を、ILO(国際労働機構)89号・98号条約違反として160以上の組合・団体と連名で申し立てを行い、同2000年11月にILOが出した不当な逆転勧告を是正する闘いさえ放棄した国労本部に対抗せざるをえなかったのと同様に、今後の国鉄闘争の両輪をなす闘いと言える裁判闘争である(ILOへの申し立ては、昨年11月に正式に受理されている)。
 当然のことだが、それは4党合意による争議終結を画策する国労本部と国労右派にとっては、さらに数年におよぶ、しかも闘争団が自ら先頭に立つ争議に「巻き込まれる」悪夢であろう。2月中央委で査問委員会を設置し、大急ぎで鉄建公団訴訟原告団を切り捨てようとするのは、争議を継続する闘争団と国労を組織的にも切り離し、自民党政府・国土交通省(旧運輸省)に身の証しをたて、国労の組織的苦境を救済してもらおうとする期待の表明なのである。

                ●国労本部と分裂組合

 国労の組織的苦境は、2月中央委で設置された査問委が、もうひとつの査問対象とするジェイアール東日本ユニオン(東ユニオン)なる分裂組合問題に象徴されている。
 この分裂組合は、新井修一・前国労本部中執を委員長に、長野地本や秋田地本など4党合意を積極的に支持した右派地本の国労組合員約800人で昨年12月に結成された。だがそこには、国労右派が本部に圧力を加える決起という性格が刻印されている。つまり警察機動隊の出動まで要請して4党合意の大会容認をしたのに、その後はこれに抗議をつづける闘争団や反対派の切り捨てを本部が先延ばしにして、JR連合との組織合同を進めるという規定路線が一向に進展しないことに苛立つ右派が、本部をたきつける目的で分裂を組織したのである。だから彼らは、国労を脱退するでもなく「当面は二重加盟で」などと平然と語っているのだ。
 高嶋・寺内執行部は、鉄建公団訴訟原告団と分裂組合を抱き合わせにして統制処分を正当化しようというのだろうが、右翼分裂組合の登場という事態は、4党合意の承認を強引に大会決定した直後から、少なくとも中央執行委員クラスの幹部なら当然予測できたことである。なぜなら、4党合意に対する闘争団員の激しい反発と抵抗を見れば、ひとり80万円とも言われた「解決金」と数名の「人道的新規採用」で闘争団を納得させるのは到底不可能であり、かと言って露骨な闘争団の切り捨てで「左派」の面目を失うことも、JR連合との組織合同交渉での国労の優位を脅かすが、こんな都合のいい思惑の両立は、よほど強権的な執行部でも至難の技なのは明らかだったからである。
 そして4党合意の承認から1年という時間の経過は、これを支持した右派が苛立ちを募らせるに十分過ぎるものであり、分裂組合の登場は当然と言えば当然の成り行きだった。しかし高嶋・寺内執行部は、新井前中執を中心とした長野、秋田、盛岡など各地本で蠢動する分裂策動を、手をこまねいて傍観するしかなかったのである。
 その意味で分裂組合結成の過半の責任は高嶋・寺内執行部自身にあるのであり、これと鉄建公団訴訟原告団への査問の抱き合わせは、闘争団の切り捨てという誰の目に明らかな事実を覆い隠そうとする、見え透いたごまかしと言うほかはない。

                ●組合員の精神的退廃

 15年におよぶ長期争議を収拾し、企業内労組主流派に返り咲こうと国労多数派が選択した4党合意は、右翼分裂組合の登場という新たな組織的危機に発展した。
 改めていうまでもなく、4党合意の狙いは争議主体たる国労闘争団を屈服させ解体することにあった。だがスズメの涙の解決金とアリバイ的な新規採用をエサに国労幹部を籠絡しても、国労闘争団を解体できないことは新たなILOへの申し立てと鉄建公団訴訟の提訴によって明らかになった。
 だから政府・国交省と自民党が、4党合意にもとづく解決案を提示しなければならない理由は、ますますなくなってしまったのだ。そして他方の国労に残された現実が、4党合意をめぐる混乱で生じた組織的荒廃と組合員の精神的退廃であり、現状に苛立った右翼分裂組合の登場だったのである。
 ところでこの右翼分裂が、国労を急速に引き裂くと考えるのは早計である。以前にも指摘したように、「JR内労資関係も、屈服したJR総連が相手であれば当面はどうにかなる」(本紙123号)からこそ、JR当局はJR連合と国労を合併させたJR総連追い落としを急ぐ必要がなくなったのであり、国労右派による分裂組合の結成もこの状況を大きく変える訳ではないからである。しかもある種の盟約者集団にすぎない少数分裂組合に、「やむをえぬ選択」として4党合意を受け入れた国労組合員が急速に引きつけられる可能性は、はなはだ少ないからである。
 にもかかわらず、分裂組合の登場は組合員の精神的退廃に拍車をかけるだろう。争議の大義を投げ捨ててでも守ろうとした国労組織が、展望を見失って分裂したことで「やむをえぬ選択」は無意味なものとなった。だがその選択をしてしまった多くの組合員は、この事態を直視して自らを真剣に顧みない限り精神的な退廃を免れることができない。なぜなら、国労組織の荒廃と分裂という直視したくな現実から目をそらし、自らの敗北を認めたくもないとすれば、本部と分裂組合そして闘争団の動きに「無感覚になる」以外になくなるからである。
 こうして、「・・・・国労本部の高嶋・寺内執行部は、出る当てのない『解決案』を待ちつづけ、その間に国労組織は壊疽に犯されるように立ち枯れが進行する」(本紙123号:01年12月)事態が加速される。それは、高嶋・寺内執行部の組織的基盤が急速に掘り崩されることを意味するだけである。
 この国労組織の危機を突破する道は、2つしかありえない。ひとつは国労を自ら一方的に解散してJR連合の軍門に下る、いま右翼分裂組合が実行しはじめた道であり、もうひとつは4党合意の破産を確認して争議の主体的立て直しを図る闘う闘争団と闘争団共闘会議準備会が追求しつづけてきた道のいずれかである。

                 ●国労闘争団共闘会議

 この「もうひとつの道」を追求してきた闘う闘争団と国労闘争団共闘会議準備会は2月19日、東京の労働スクエアーで「活路を開く新たな闘いを全国へ! がんばれ闘争団 ともにGO! 2・19集会」を開催した。集会では、1月28日に東京地裁に提訴した鉄建公団訴訟の意義を確認するとともに、準備会として活動してきた国労闘争団共闘会議を、全国における本格的な組織化をつうじてより大きな国鉄闘争の共闘組織へと発展させようとの呼びかけが行われた。
 この呼びかけとともに、集会では「人らしく生きよう/国労冬物語」の全国上映運動からのアピールも行われた。「人らしく・・」の上映運動は昨年、東京での一般公開で、これまでは国鉄闘争とはまったく無縁であった若い観客たちに感動的に受け入れられ、闘争団の側でもこうした新しい若い人々との連帯の必要性が認識されはじめた経緯がある。これを受けて昨年末、闘う闘争団は旧来的な労組動員に頼らず、若い人々が集まれるような上映運動を全国的に展開するよう呼びかけてきたのである。
 こうした、国鉄闘争の新たな広がりの可能性は、「リストラの原点」と言われる国鉄闘争が、小泉政府の登場によって急増した首切りや倒産というリストラの社会的な広がりによって、若い世代の共感を得られる情勢のはじまりを示すものであり、それがまた国労闘争団共闘会議の、全国における本格的な組織化の客観的基盤でもある。

                  *

 もちろん、4党合意にもとづく解決にしがみつく国労本部が、鉄建公団訴訟原告団の除名処分を目論んで査問委員会を設置するなど、争議継続に対する妨害との厳しい対決という困難が、なお国鉄闘争を取り巻いてもいるのも現実である。
 だが労働者大衆自身が、直面する難局を打開しようと自ら行動することは、今後も増大するであろう倒産や失業に立ち向かう情勢の下でも最も肝心なことであり、鉄建公団訴訟を自立的にはじめた闘争団と共闘会議の闘いは、そうした戦闘的伝統を継承する懸け橋となる闘いなのである。                                    
(F)

―――――――――――――――――――――――――――――――――――
【3つ目の論文】
             [市場の正義]エンロンの倒産

 タリバーン政権が崩壊し、アフガン戦争の第1局面が終息にむかいはじめていた昨年12月、世界最大のエネルギー取引会社であるエンロンが、連邦破産法第11条(日本の会社更生法に相当)を申請して倒産した。
 90年代、売上規模で全米7位になったこともある「超優良企業」の倒産は、ケネス・レイ前会長とブッシュ大統領一族の親密な交際や多額の政治資金の提供もあり、一時は日本でも大きく報じられた。いまではあまり報道されなくなったが、アメリカでは今年になって、連日のように新聞の一面トップを飾る最大のニュースになっている。
 エンロン事件には2つの側面がある。ひとつは政治献金などの政治スキャンダルの側面で、日本の報道の多くはそこに焦点をあてていた。だがこれは、違法献金や特別な救済があった訳ではなく、あとは「新エネルギー政策」にエンロンの意向が盛り込まれたのではないかとの疑惑だけだ。これは民衆党が資料の公開を要求し、これを拒否したブッシュ政権を議会側会計監査院が提訴するという前代未聞の事態になってはいるが、ウォーターゲートのような疑獄事件に発展する可能性は小さいとの観測が圧倒的だ。
 むしろ焦点化しているのは、企業犯罪の側面だ。不正な経理操作と粉飾決算、自社株の高値を呼ぶ高収益の虚構、これを黙認した監査法人の証拠隠滅行為、会社重役たちのインサイダー取引疑惑、自社株暴落で破綻した従業員の401K型年金などである。
 これらの問題には、空前の好況を経験したアメリカの企業社会に実は重大な欠陥や不備があるのではないかとの疑惑とともに、アメリカの企業制度への不信が経済全体への不信にまで広がり、回復しつつあると言われるアメリカの景気に悪影響を及ぼすのではないかとの不安がはらまれている。

                   *

 エンロンの前身は年商76億ドル、株価も5ドル台の天然ガスパイプライン運用会社だ。ラインの空きを利用させて手数料を稼ぐ発想を電力、水道、通信にも応用して業績を伸ばしてきたが、それらをインターネットで取引する「エンロン・オンライン」を開設したのが99年11月だ。まもなく金融商品や通信容量取引なども扱う、年商1010億ドル超(2000年度)の巨大エネルギー商社に成長した。証券バブルに沸く投機資金が、このIT型「ニュービジネスモデル」に殺到するのは当然だった。株価は99年末の40ドル台から、翌年8月には90ドル台にまで急上昇した。
 96年にエンロンの会長兼CEO(最高経営責任者)に就任したケネス・レイは、「市場の正義」を売り物にこの急成長を指揮してきたのだが、その実態は集まった資金を次々と投資して事業規模を拡大し、証券バブルの崩壊で資産価値の目減りがはじまると数々の不正で虚構を積み重ねてきたのだ。
 そして「市場の正義」はいま、証券投機に浮かれた投資家たちの資金を食いつぶし、運用型年金401Kに加入していた労働者の老後を破滅させた反面、倒産を予測できたレイ前会長ら重役たちが事前に自社株を売って大金を手にし、刑事訴追を逃れようと高額の報酬で敏腕弁護士を雇い入れることを許す。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――
【4つ目の論文】
            民族主義とテロリズムをこえて
            反グローバリズムの一翼へ

         ―パレスチナ解放闘争と兵役拒否運動―


               ●オスロ合意の破産

 イスラエル軍とパレスチナ解放運動の報復合戦が激化しつづけている。イスラエルの強硬派・ゼービ観光相が昨年10月に暗殺されたのが発端だが、この暗殺事件もパレスチナ解放運動の幹部がイスラエル軍によって暗殺されたことへの報復だった。
 その後の相互報復は、昨年9月のWTC(世界貿易センター)テロ事件とアフガン戦争の影響で、「テロに対する軍事報復」が容認される国際的風潮を背景にして、歯止めのなくなったイスラエル軍による攻撃でパレスチナの民家破壊や民衆の殺戮が拡大し、テロ犯人の捜索を口実とする民間人への脅迫や暴行も激化したのに対して、パレスチナ解放運動の側も自爆テロを含む無差別の武力報復で応ずるかたちで激しさを増した。
 国際世論は、「オスロ合意にもとづく和平構想が危機に瀕している」との憂いを表明しつづけているが、オスロ合意の破産はすでに明らかである。アラファト議長が「和平交渉と合意はなお可能だ」と繰り返し強調しようが、アメリカが「パレスチナ過激派」の取り締まりとイスラエルの報復政策の見直しを求めようが、シャロンとアラファトによる和平交渉が不可能なことは、シャロンが「アラファトとの断交」を宣言した昨年12月以降、誰の目にも明らかである。
 シャロンは和平に応じて自ら強硬派と対立して孤立するつもりはないし、アラファトには「過激派」を押さえ込む力がないのも明白だからだ。だからこそサウジアラビアは、イスラエル軍の占領地からの撤退と引き換えに、アラブの「穏健派」諸国がイスラエル国家を承認することを骨子とした新たな和平提案を行っているのである。
 こうした状況は、パレスチナ解放運動を厳しい課題に直面させる。当初はパレスチナで圧倒的に歓迎され、イスラエル和平派にも国際世論によっても歓迎されたオスロ合意による「パレスチナ国家」の建設すら実現されないとすれば、パレスチナ難民の郷里への帰還を含むパレスチナ解放闘争は、いったいどのような勝利的展望をもちうるだろうか、という重い問いである。

              ●パレスチナ国家と帰還権の放棄

 テロと軍事報復が激しさを増し始めた昨年11月、PLO(パレスチナ解放機構)のエルサレム代表であるサリ・ヌセイベ氏が、「パレスチナ人は、イスラエルへの難民帰還を断念すべきだ」と発言し、パレスチナ民衆の強い反発を呼び起こした。
 ヌセイベ代表はアラファト議長の信任厚い幹部で、議長自身がエルサレム代表に任命したと言われる。そのヌセイベ氏の発言はもちろん衝撃的だが、「パレスチナ国家建設による和平の達成」というPLOの路線を前提にして、パレスチナ難民の帰還とイスラエル入植地の撤去という和平交渉上最大の難問を解決しようとする限りで、それはきわめて「現実的な提案」でもある。
 彼の「問題提起」は、パレスチナは難民のイスラエル帰還を断念するが、イスラエルもまた入植地を断念しなければなならいというものであり、難民が帰還できる「郷里」と生活はパレスチナ国家自身が用意するべきであるというのである。それは、400万人の難民帰還問題の決着なしにはパレスチナ国家を承認し難いイスラエル政府と、占領地につくられた入植地の撤去なしにはイスラエルとの和平は不可能だとするパレスチナ自治政府の、両者にとって最大の対立点でありまた核心問題を打開しようとする真剣な提案であるには違いないのだ。
 しかしこの提案は、シオニストによるイスラエル建国でパレスチナ難民が生まれた1948年、国連総会が決議した「難民の故郷への帰還または補償」の権利を、「難民生活からの脱却」と引き換えに放棄するように迫ることでもある。いわゆる「パレスチナの大義」を放棄するものと受け取られるは、その意味で当然であった。だがむしろこの「現実的で真剣な提案」からは、ひとつの重大な結論が導き出されるのである。
 それは、郷里を奪われたパレスチナ難民の帰還権は、民族(国民)国家の建設すなわちパレスチナ国家の建設という新しい国境の策定によっては保障できないという結論である。そしてこの結論は、パレスチナ解放闘争に重大な戦略的総括を突きつける。
 テロを含むゲリラ戦か和平交渉かという闘争形態の違いがどうあれ、PLOを中心としたパレスチナ解放運動が掲げてきた民族主義的路線では、いわば先住民の権利回復の闘いでもあるパレスチナ解放闘争の展望は、おそらく切り開けないだろうという戦略的課題がいま、パレスチナ解放闘争とそれを支持する
人々に提起されてるのである。

                ●戦後資本主義と民族主義

 では民族主義に代わるパレスチナ解放の展望とは何かが問われるが、それを検討する前に、民族主義路線の破綻の要因を、昨年9月のWTCテロ事件以降の国際情勢の変化の中でもう少し考えてみたい。なぜならPLOの民族主義路線は、はじめから破産する運命だったわけではなく、戦後資本主義の繁栄のもとではそれなりに現実的可能性をもつ路線だったのであり、しかしそれがテロ事件を契機に、明らかな限界を露呈することになったことを確認したいからである。

                 *

 いまだ記憶に新しいボスニア内戦でも明らかなように、多民族が共生する連邦制を民族自決を名分に再分割することは、民族問題の解決に資することができないばかりか、必ずしも進歩的であるとも言い難い。
 ところで戦後、アメリカ資本主義のイニシアチブの下で、民族の自決と独立そして民族国家の形成は国際的正義として認知されてきた。それは、第二次大戦までの帝国主義諸国が植民地の民族自決を徹底的に抑圧したのとは対照的に、戦後のアメリカ資本主義が民族独立運動を支持して旧帝国主義植民地体制を積極的に解体し、すべての諸国に開かれた市場としての民族国家へと再編してきたことに端的に示されている。
 民族的差別と抑圧の体制であった帝国主義植民地支配に対して、独立した民族国家の形成を支持することは、もちろん歴史的に進歩的な権利の承認である。だがこの歴史的進歩性には、資本主義的な制約もはっきりと示されていた。アメリカを筆頭とする資本主義諸国に開かれた市場であること、だから弱肉強食の競争を旨とする資本主義的市場を否認する勢力が権力から排除されていることが、民族国家としての独立と自決が保障される条件であるという制約である。
 それでも戦後資本主義が経済的発展を謳歌し、旧植民地諸国も西側の一員としてその一部を享受できた間は、民族独立の要求は国際的正義として承認され、だからまた「ユダヤ民族」の国家・イスラエルが擁護される一方で、PLOも国際世論を背景にイスラエルのパレスチナ占領を非難し、欧米諸国の支援を取りつけたり、和平交渉のテーブルを用意させることが可能であった。レバノン撤退以降のアラファトの戦略は、これを十分に理解した巧みなものであったと言えるし、その戦略的成果がオスロ合意であった。
 この戦略が危機に直面する転機がWTCテロ事件とアフガン戦争なのだが、こうした暗転の契機は、もう少し以前から準備されていた。それは戦後資本主義が直面した過剰生産の危機を突破しようと、今日のグローバリゼーションにつらなる貿易自由化を推進したことで途上国の貧困を拡大し、それが市場を敵視する民族主義的運動を台頭させたことであり、あるいはソ連邦やユーゴ連邦の崩壊過程で、民族自決の一般的擁護が国際資本主義体制の不安定要因ともなることが明らかになったことである。これが民族自決の承認から戦後資本主義が退却をはじめる、大きな背景をつくりだしていた。
 そしてイスラームの教条的原理を掲げて市場を敵視する勢力が、市場至上主義を象徴するWTCに自爆テロを敢行してアメリカが軍事報復を決意したとき、この退却は決定的となった。いまや民族自決の権利は、アメリカを中心とする欧米諸国が恣意的に選択し承認する特権へと後退したのである。

               ●兵役拒否運動の広がり

 アラファト議長の後継者をめぐるPLO内の政治的混迷をふくめて、パレスチナ解放闘争が直面する今日の苦境は、この戦後資本主義の歴史的進歩性が決定的に後退しはじめたことの反映でもある。
 しかも、イスラエル建国という新たな国境の策定がパレスチナ難民を生み出して長期の戦争状態の原因になったように、民族国家の建設が民族的対立を解決できないことは歴史的にも証明されてきた。だから少なくとも現代では、分離・独立の自由を含む民族自決権の擁護だけでは、戦後資本主義もまた解決できなかった民族的偏見と差別を克服する対案としては不十分であろう。
 もちろん、国際プロレタリアートの連帯にもとづくユダヤ人とパレスチナ人の共存を意味する統一パレスチナの建設が、民族主義に代わる未来像としては掲げられるべきであろう。だが、難民の帰還権をふくむパレスチナ民衆の基本的人権の回復を求める闘いは、血で血を洗う報復合戦に反対する反戦運動の水路からはじまる、統一パレスチナの社会的基盤をつくりだす「社会的陣地戦」として闘いぬかれるだろうと思う。

                 *

 WTCテロ直前の昨年9月3日、イスラエルの62人の高校生がシャロン首相宛てに兵役拒否の手紙を書いた。「私たちはイスラエル軍のパレスチナ人に対する土地没収、裁判なしの逮捕や処刑、家屋破壊、封鎖、拷問などの人権侵害に抗議し、自分たちの良心に従ってパレスチナ人への抑圧にかかわるのを拒否します」(『AERA』2/4)と。
 さらに今年1月下旬、今度は予備役兵士53人が「占領地での軍務が、われわれがはぐくんできたあらゆる価値を破壊して」おり「本来の国防と関係がない」と占領地での軍務を拒否する「拒否の手紙」を新聞に発表し、2週間たらずで170人を超える賛同者が名乗りをあげる事態へと発展した(2/6:朝日)。さらに2月17現在までには、賛同者は251人にまで増えたとの報告がある。
 イスラエルは国民皆兵であり、18歳以上の男子は3年、女子は1年9カ月の兵役が義務づけられ、その後も男子は毎年30日程度の軍務が45歳まで義務づけられている。これを拒否すれば、刑務所での服役が課せられる。
 ところがイスラエルの兵役拒否運動はこれが初めてではない。「エシュグブル(限界がある)」という平和グループは、レバノン進攻のあった82年に兵役拒否運動をはじめて168人が服役し、最初のインティファーダ(パレスチナの大衆的抵抗運動)のあった87年にも約200人が服役した。それでもこれだけの高校生や予備役がまとまって公然と兵役拒否を呼びかけ、運動の輪を広げようとする動きは初めてなのである(前掲『AERA』)。
 彼らの言う「はぐくんできた価値」は、基本的人権として保障されるべき諸権利は何人も、つまりパレスチナ人も侵害されないという価値のことだが、それと同時にイスラエルには「命令が違法だと判断したら、従うべきではない」という軍法規定があることも重要な背景であろう。
 1956年、50人のアラブ人がイスラエル兵に虐殺された事件の軍法会議は「命令に従っただけ」という兵士の弁明を退け、「命令があっても、兵士は良心の声に従わねばならない」として有罪にしたことを根拠にした規定である(前掲:朝日)。この価値観は、ナチスによるユダヤ人虐殺を「人道に対する罪」として断罪し、個々の兵士の行為も「良心に反する行為」として裁いてきた戦後の反ナチ運動の価値観を直接引き継ぎ、さらに「思想・信条の自由」という欧州民主主義の伝統から生まれた「良心的兵役拒否」の思想を継承している。
 しかしこれを「戦時下にある民主国家」(モファズ・イスラエル軍参謀長)で実践することは、「テロと民主主義の戦争」として宣伝されたアフガン戦争と以降のアメリカの戦争政策に反対し、世界で最も貧しい国々の民衆を敵として戦う欧米諸国の兵士たちを反戦運動に引き入れ、テロ対民主主義という虚構を内側から侵食する思想的武器を、現実の運動を通じて鍛えることになるに違いない。
 もちろん兵役拒否運動は、社会的陣地戦のほんの一例にすぎず、テロと民主主義の戦争という虚構を掘り崩すには、多くの時間を費やさねばならないだろう。だが他方でわれわれは、すべての人間の基本的人権を擁護してグローバリゼーションに反対する新しい国際運動の台頭を目撃してもいるのであり、だからこそパレスチナ解放闘争をその一翼に位置づけた粘り強い陣地戦を、こうした内在的闘いに呼応するパレスチナ人勢力との連帯を求める努力も含めて闘う必要があるのではないだろうか。                                        
(どい・あつし)

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 創刊準備号                 2002年3月15日発行
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