教育と文化・社会
競争主義ではなく一人一人の子どもの興味と理解を大切にする教育への転換を! −「いじめ」問題根絶の課題とは何か− |
12年11月 | こちらへ | ||
【特集・秋葉原殺傷事件】アトム化と孤立を生み出した多様なコミュニティーの崩壊 −「コミュニティーの核」となる小中学校再生の試み− |
08年7・8月 | こちらへ | ||
【特集・秋葉原殺傷事件】青年はなぜ、殺人鬼に変貌したのか −背後にある、人を人として扱わない社会− |
08年7・8月 | こちらへ | ||
【映画寸評】周防正行監督作品『それでもボクはやっていない』 冤罪を再生産する司法官僚機構の罪ー周防作品の新しい力強さー |
07年3月 | こちらへ | ||
いじめ克服の道はあるか −学校現場と地域主体の教育再生実践へ− |
06年11・12月 | こちらへ | ||
【教育基本法改正】グローバリズムに身構える「国民国家」 ―「社会の危機」は「国民道徳」で救えるか― |
06年3月 | こちらへ | ||
●「つくる会」歴史教科書の採択:「固有の文化」論は虚構だ! −「外国文化」を排除した「日本論」に潜む排外主義の歴史像− |
05年7・8月 | こちらへ | ||
●板橋管理人夫婦殺害事件 児童虐待を生む「家父長制家族」の悲劇 ―「個の尊重」に基づく社会と家族の創造― |
05年6月 | こちらへ | ||
「たしなみの宗教」から「救いの宗教」へ:豊かさが生み出す不安と宗教の役割 ―ローマ法王の死と日本政府の宗教無策― |
05年4月 | こちらへ | ||
島民の「自己責任」で帰島させるのは東京都が行政責任を放棄することだ! −三宅島帰島問題に見る 行政と専門家の責任放棄− |
04年8月 | こちらへ | ||
少女の殺意は親に向けられていた −佐世保同級生殺害事件の真実− |
04年7月 | こちらへ | ||
「世間」共同体の「村八分構造」の発動と共同体の「危機」の顕在化 ―イラク人質“たたき”に見る日本社会の旧構造の姿とその変容の可能性― |
04年5月 | こちらへ | ||
イラク派兵を支持する著名人たちの没主体的言説に見る精神文化の退廃 ―「脱亜親米」という戦後日本のアイデンティティ― |
04年3月 | こちらへ | ||
若者の「自立宣言」の場に!―「荒れる」成人式の実情と背景― | 04年2月 | こちらへ | ||
厳罰化で少年犯罪は減らせるか? ―問われる、自立と連帯にもとづく新しい社会の構築― |
04年1月 | こちらへ | ||
ファシズムへの一里塚?問われているのは今後の展望! ―北朝鮮問題に見る 政治への不満と不安の充満― |
03年10月 | こちらへ | ||
暴走する欲望と共同体の崩壊ー続発する少年事件に見る社会の実相ー | 03年9月 | こちらへ | ||
『ハリー・ポッター』ブームの背景 自立・連帯・共同への共感 | 02年12月 | こちらへ | ||
教育労働者への「労働時間攻撃」にどう対処するのか | 02年8-9月 | こちらへ | ||
迷走する『教育改革』−理念なき批判と妥協の産物 | 02年5月 | こちらへ | ||
国際戦略なき国粋主義の発揚 ―「新しい歴史教科書」に思う― | 01年7月 |
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自発的な民主主義とむすぶ日の丸・君が代闘争の再構築を | 01年3月 |
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民衆の自発的参画うながす 災害対策ネットワークの可能性 | 00年10月 | こちらへ | ||
突如「凶悪犯」になる 「いい子」たちの怒り | 00年9月 | こちらへ | ||
「教育改革」がかかえる矛盾 | 00年2月 | こちらへ | ||
映画屋が描いたプロ意識−映画「鉄道員(ぽっぽや)」を見て | 99年10月 | こちらへ | ||
追加 | 切れる子どもと労基法の改悪 教育公務員特別措置法・中教審答申から地域と親子を考える | 98年5月 | こちらへ |