フランスLCRの解散とNPAの結成について

2009年5月13日

第四インターナショナル日本支部再建準備グループ

(インターナショナル第187号:2009年5月号掲載)


(1)

 2009年2月5日、第四インターナショナルのフランス支部である革命的共産主義者同盟(LCR)は第18回大会を開催し、同盟組織の解散と、翌6日から結成大会を開く「反資本主義新党」(NPA)への発展的解消を決定した。
 日本革命的共産主義者同盟(JRCL)中央機関紙『かけはし』第2069号(3月30日発行)によれば、大会には「NPAにとって望ましい政治路線、とりわけ社会党左派との統一的関係に関わる政治路線、をめぐって対立していた」2つのグループが、ともに「発展解消」を支持する提案文書(プラットフォーム)を提出し、プラットフォームAの「LCRをNPAに発展解消させよう」が87・2%、プラットフォームBの「LCRの真の発展解消のために」が12・2%を獲得し、(移行のための)LCRの機関の維持、調査委員会の創設、公的助成金の全額のNPAへの拠出を満場一致で決定した。
 そして2月6日からパリ北部のサンドニで開催されたNPAの結成大会では、旧LCRの党員約3200人を含む9123人の党員(うち女性は36%)で、NPAが結成されたことが明らかにされた。
 『かけはし』第2068号(3月23日発行)には、LCRの解散大会とNPA結成大会に関して「編集部」署名の『解題』が、また前掲の第2069号にはフランソワ・サバト署名の「新しい時代に応える新しい手段」(以下『手段』)と題する解説的小論が掲載されている。
 『解題』と『手段』は、ともにLCRのNPAへの発展的解消を積極的に評価し、前者は「社会党と共産党の伝統的左翼の左に位置する全国的で大衆的な反資本主義的政治潮流の結成のための新たな段階が、ここに始まった」と述べ、後者もまた「NPAは、第四インターナショナルの支部とはなり得ないだろう。なぜなら、この党は、多元主義的な党、すなわち、共産党、社会党、労働組合活動家などさまざまな起源の諸経験と諸潮流を収斂させるようにする党、あらゆる革命的伝統のうちの最良のものを引き継ぐことを目指す党になるという責務を担っているからである」と述べている。
 また、旧第四インターナショナル日本支部のもう1つの分派組織である国際主義労働者全国協議会の機関紙『労働者の力』230号(5月10日)には、NPA結成の意義を高く評価するギローム・リガエル(前LCR政治局員)の論文、「新反資本主義党、前途有望な誕生」(以下『リガエル論文』)が掲載されている。

(2)

 わたしたち「第四インターナショナル日本支部再建準備グループ」(以下「グループ」)が、戦後第四インターナショナル最大の拠点支部であるフランスLCRの解散とNPAへの統合の決定を行ったことについて知り得た事は、主要に『かけはし』と『労働者の力』に掲載されたこれらの記事にもとづいたものに過ぎない。
 こうした限られた情報だけで、とくにLCRの解散とNPAへの合流を決定した18回大会討論の詳細も知らないまま、戦後第四インターナショナルの一大転機と言うべき問題についてコメントするのは、それ自身としてかなり困難な作業である。
 そのうえであらかじめ強調しておきたいが、わたしたちは、LCRを発展的に解消してNPAを結成したフランス支部の選択を、「トロツキズムからの逸脱」などと批判したいわけではない。
 むしろわたしたちは、戦後トロツキズム運動が直面した現実と理論のギャップを直視し、トロツキズムあるいはボルシェヴィキ・レーニン主義と呼ばれる革命理論の体系を全面的に見直し、そうした作業を通じて、第四インターナショナルの今後を再考する必要性を痛感してきた。
 レーニンが「帝国主義論」で描き出し、レーニンの死後はトロツキーが継承した「帝国主義戦争を内乱へ」とする革命の展望が、第二次大戦後の四半世紀におよぶ経済的拡大を実現した「後期資本主義」の現実に対して対応力を持たないのであれば、この戦略的展望に立脚するインターナショナルは、その存在意義を失って当然であろう。あるいは1991年にソ連邦が崩壊し、「労働者国家・ソ連」の官僚支配の要であったソ連共産党が解体されたとき、次に現れたのは、官僚支配を排して自主的な生産管理に向かう労働者運動の胎動ではなく、資本主義・ロシアを生み出すための激しい政治的抗争だったとすれば、トロツキーが展望した「反官僚政治革命」を支持してきたインターナショナルは、その戦略的展望を全面的に見直そうとして当然である。
 以上の立場から、LCRの解散とNPA結成の経過をもう一度、振り返ってみたい。

(3)

 わたしたちは90年代以降、フランスで大きな発展を遂げた多様な社会運動において、LCRが重要な役割を果たしてきたことを知っている。また、労働運動の分野では、直接民主主義を重視したSUDやFSU(教員組合)が、CGTやCFDT、FOなどの官僚化したナショナルセンターに対抗して大きな成果を上げているが、ここでもLCRが中軸的位置を占めていることを熟知している。
 そして、これらの社会運動や新たな労働運動の登場が、新自由主義に直面しているフランス社会を突き動かす重要なテコとなり、数度のゼネストや巨大な大衆運動に結実したのは周知の事実である。
 さらに2007年の大統領選挙で、LCR推薦のブザンスノ候補が149万票(4・08%)を獲得し、NPA結成後の世論調査(フィガロ紙)によれば、彼は23%の支持を得たという(「朝日新聞」3/18)。
 もちろんLCRは、このようなフランスにおける階級闘争の発展に自らが重要な役割を果たしていることを自覚しつつも、その組織的限界を明確に認識していた。
 そして1980年代以降、大衆的基盤を持つ革命党建設を、「より広い範囲での左翼と労働者運動の『再組織』、再構築の結果であるべき」(ピエール・ルッセ「新たな反資本主義政党の創出に向けて」・1月10日発行『労働者の力』226号、以下『ルッセ論文』)であるとして、既成左翼との統一戦線、急進主義的左翼との統一戦線などを試みてきたが、ルッセによれば、それらはことごとく失敗に終わったという。
 その結果から、LCRは次のような結論を導き出した。
 「『古い』政治的、労働組合的運動は、もはや急進左翼を復活は出来ない。政党に関する限り、SPの社会的根拠は変化し、その『社会自由主義』の方向性はブルジョア社会への深き統合を明らかにしている。CPに関して言えば、スターリニストの過去と一度も正面から向き合ったことがなく、今やそれ自身、選挙的、制度的にSPの人質となっている。何年もの危機にあるのだが、その危機には不幸にも発展への動力が含まれていない…三つの主要な労働組合機構(CGT、CFDT、FO)はまた、官僚主義機構に過ぎる。」(『ルッセ論文』)
 しかし、2005年のヨーロッパ憲章草案に関する国民投票での否定が示すように、新自由主義に反対する民衆の強力な気運は持続されてきた。こうした状況を受けてLCRは「前へ進むことの緊要さと可能性とを確信して、われわれは、あれこれの組織との合意の存在を条件とするプロセスを条件とはせず、底辺から築き上げる過程を開始することで、出発することを決定した」(『リガエル論文』)のだという。
 こうしてLCRは解散し、「資本主義の世界的な危機に対する唯一の回答、人類の将来が依存する闘い、21世紀の社会主義、民主主義、環境主義、女性解放主義の闘い」(『リガエル論文』)に向けてNPAが結成された。
 新自由主義に基づく世界資本主義の危機が誰の目にも明らかとなり、金融危機に端を発した恐慌的事態は失業と貧困という災厄を全世界の労働者民衆にもたらしつつある。こうした中で「資本主義の世界的な危機に対する唯一の回答、人類の将来が依存する闘い、21世紀の社会主義、民主主義、環境主義、女性解放主義の闘い」を掲げた統一戦線的な新党、NPAの旗揚げがフランスの労働者民衆から好意的に受け止められている状況を、私たちも喜びを持って受け止めたい。

(4)

 だが、冒頭で述べたわたしたちの問題意識、「戦後トロツキズム運動が直面した現実と理論のギャップを直視し、トロツキズムあるいはボルシェヴィキ・レーニン主義と呼ばれる革命理論の体系を全面的に見直し、そうした作業を通じて、第四インターナショナルの今後を再考する必要性を痛感してきた」という立場からすると今回、『かけはし』と『労働者の力』に訳出、掲載されたLCRの文書には、いくつかの疑問を感じざるを得ない。
 その最大の疑問は、わたしたちが知り得たこれらの文書の中に、長らく第四インターナショナルの綱領的文書であったトロツキーの「過渡的綱領」についての言及が、まったく行われていない点である。「資本主義の死の苦悶」や堕落した労働者国家における「反官僚政治革命」というトロツキーのテーゼは、LCRの解散とNPA結成との関連でどのように総括されたのか。あるいは、その破綻が明確であるとするならば、トロツキーの限界は何に起因していたのか。
 新たな出発にあたって、自らの出生の経緯とその後の経過を率直に振り返り、対象化することは、革命的な政治勢力たらんとするわたしたちの最低限の義務だと思うのである。
 そのような疑問が具体的姿となっていると思われる点を最後にあげておきたい。それは第四インターナショナルとNPAの関係についてである。
 この点に関して『手段』は「NPAは、第四インターナショナルの支部とはなり得ないだろう」と述べ、その理由として@われわれの思想が根本的に時代遅れになったと思うからではなくて、新しい時代が生まれており、階級闘争に介入するためにはわれわれの綱領を今日的なものにし、新しい党と新しい手段が必要だと確信するからである、Aこの党は、多元主義的な党、すなわち、共産党、社会党、労働組合活動家などさまざまな起源の諸経験と諸潮流を収斂(しゅうれん)させるようにする党、あらゆる革命的伝統のうちの最良のものを引き継ぐことを目指す党になるという責務を担っているからである、B歴史の結果が明らかにしたことは、第四インターナショナル、そしてより正確に言えば「わが第四インターナショナル」は歴史的にまったく限られた一潮流であるという点である―の3点を挙げている。
 ところが同文書では同時に、「各国の党建設と新しいインターナショナルの建設とは同時に行われはしないだろう。だからこそ、今後、新しいインターナショナルが生まれないかぎりにおいて、われわれは今後も第四インターナショナルの建設を引き続き追求していくのである」と結論付けている。
 第四インターナショナル結成の意図を不問としたかのような、いささかアクロバット的なこの結論を揶揄することは難しいことではない。だがそこには、NPAの中で、LCRが圧倒的多数派であるという現実に対する善意の自己規制も含まれていると思われる。それは、その他の文書などからも類推可能である。
 だが、組織問題に関するこのようなあいまいさは、それがたとえ善意の発露であったとしても、後々、禍根となることをわたしたちは痛感してきた。
 運動が壁にぶつかったとき、このようなあいまいさがセクト主義に転じる姿を、わたしたちはしばしば見てきたのである。そして、このようなあいまいさは、往々にして過去の総括の軽視から生まれることを歴史は物語っているのではないだろうか。
 フランスにおける階級闘争のダイナミックな進展の中で進んだLCRの解散とNPAの結成に対して、このような疑問を呈することは老婆心が過ぎるものなのかもしれない。あるいは第四インターナショナルの歴史的総括については、わたしたちが知り得なかった文書ですでに展開済みなのかもしれない。
 そのような危惧を抱きつつも、わたしたちは今日の情勢に正面から攻勢的に立ち向かう旧LCRの同志たちの奮闘に心から敬意を表する。そして、総括を含む情勢の共有化と連帯を表明して、わたしたちの態度としたい。


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