【旧社会党系2つの集会】

浅沼稲次郎・江田三郎両氏をかつぎ出す思惑と限界

(インターナショナル第176号:2007年10月号掲載)


 10月12日に旧社会党系の2つの集会が行われた。1つは「9条改憲反対 故浅沼稲次郎委員長追悼集会」、もう1つは「江田三郎没後30年・生誕100年を記念する集い」。
 この日は1960年、浅沼社会党委員長が右翼の少年に刺殺された命日に当たるが、「なぜ今さら浅沼稲次郎・江田三郎なのか?」と疑念を抱く人も多いと思う。
 まずは2つの集会の概要を報告した上で、その点を明らかにしたい。(文中敬称略)

▼9条護憲への特化と危惧

 12日午後、国会議事堂脇の憲政記念館で開かれた「9条改憲反対 故浅沼稲次郎委員長追悼集会」の呼びかけ人は、土井たか子、村山富市、伊藤茂、江田五月、久保田真苗、清水澄子、藤田高敏、槇枝元文、矢田部理、山口鶴男、横路孝弘の11人。民主党出身の江田参院議長、横路衆院副議長、元新社会党委員長の矢田部を含めて、全員が旧社会党籍の人々である。
 集会には、旧社会党員を中心に全国から400人近くが参加したが、ほとんどの人が60歳代後半以上。清水慎三が命名した「社会党・総評ブロック」の解体から18年が経過したのだから、高齢化は当然のことではある。社民党衆院議員の保坂展人、同・辻元清美の司会で始まった集会では、2つの発言がこの集まりの特徴をよく示していた。
 前社民党党首の土井たか子は「民主党の参院選勝利で9条改憲が遠のいたように報道されているが、敵をなめるべきではない。2年後の国民投票に向けて、準備が着々と進められていると考えるべきである。47年前のこの日、演説中の浅沼委員長は右翼の少年に刺殺されたが、その演説の結びが9条改憲阻止だった」と語った。
 一方、衆院副議長の横路孝弘は「憲法問題で9条が重要であることは事実だが、25条の『すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する』も、今日の格差社会では重要な位置を占めている」と、憲法問題を9条のみに特化することへの危惧を表明した。
 おそらく「9条改憲反対 故浅沼稲次郎委員長追悼集会」は、国民投票法成立に危機感を抱いた旧社会党の人々がかなり早くから企画し、今秋の臨時国会で、安倍内閣の右翼的路線が一層露になることを想定して集会を実現させようとしたのであろう。したがって旧社会党内の左派、右派を超えた共通のシンボルである浅沼稲次郎追悼を掲げ、旧社会党系の総結集による「9条改憲阻止」をアピールすることに最大の眼目があった。
 だが、参議院選挙での自民党の「歴史的敗北」と安倍政権の自壊によって、当初の目的からすれば、政治的焦点になるはずだった9条改憲阻止が、必ずしも情勢とはマッチしないことが露呈した感がある。
 横路による25条の強調は、この集会の隘路を指摘したと見ることができる。

▼「江田ビジョン」めぐる思惑

 同じ日の夕刻から、プリンスホテル赤坂で開かれた「江田三郎没後30年・生誕100年を記念する集い」の発起人は、小沢一郎、菅直人、河野洋平、榊原英資、田英夫など。江田五月が参院議長に就任したこともあって、旧社民連を含む民主党と、自民党系リベラルが並ぶ構造となっている。また連合初代会長の山岸章も実行委員長として名を連ね、第2部のレセプションでは挨拶も行った。
 この集まりの特徴は、岩見隆夫司会のシンポジウムにおける菅直人、山口二郎、加藤タキ、江田五月の発言にある。
 その発言の特徴は次の2点。第1は、今日的な社会民主主義との関係で江田ビジョン(1962年発表。「アメリカの高い生活水準、ソ連の徹底した社会保障、イギリスの議会制民主主義、日本の平和憲法」を戦略とする多数派形成)の持つ先見性、そして第2が、江田五月参院議長の実現に示される、民主党政権成立目前という政局のリアリズムと、江田三郎を民主党の源流の1つに位置付けたいという思惑である。
 とくに2点目では、菅直人と江田五月が江田三郎の色紙、「議員25年 政権取れず 恥ずかしや」を引き合いに出しつつ、「親子二代かけて、ようやく政権獲得目前まで来た」と感慨深げに語った点が目立った。だが、当時の社会党が陥った限界と江田三郎の挫折に言及する発言はなく、歴史的視点を欠いた思惑先行が目立った。江田五月参院議長就任祝い的な集まりの性格からすれば、そこまでは望むべくもないということか。
 また1千人が集ったレセプションでは、山岸以外にも小沢一郎、榊原英資、横路孝弘、河野洋平らが挨拶。民主党政権樹立に向けた決起集会の様相を呈していた。

▼旧社会党系勢力の岐路

 この2つの集会は、対照的である。片や9条改憲阻止に向けた大同団結のためには、47年前に刺殺された浅沼委員長を担ぎ出さざるを得ない旧態依然の旧社会党系に対して、かたや60年安保闘争の限界を超えるために提唱された「江田ビジョン」の再評価を掲げたものの、民主党と社会民主主義の位置付けを明らかにできない旧社会党、社民連系。
 現在の政治との関係で言えば後者にリアリズムがあるのは明らかだが、たとえ江田ビジョンの再評価を掲げたとしても、今日に通じる理念喪失に陥っていることを否定することはできない。その意味では集会における「江田賛歌」とは裏腹に、江田三郎の魂は宙に浮いたまま、いまだに虚空をさまよい続けているという印象を深くした。
 この旧社会党系が陥っている2つの限界を克服する方策をどのように導き出すのか。それは戦後左翼全体の問題でもあるだろう。
 そうした点を痛感させられた2つの集会であった。

(10/18:荒井高良)


民主主義topへ hptopへ